荒尾勝就
荒尾 勝就(あらお かつなり)は、江戸時代中期の鳥取藩家老。倉吉荒尾家4代。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 宝永5年(1708年) |
死没 | 享保20年7月21日(1735年9月7日) |
改名 | 五三郎(幼名)→修就→勝就 |
別名 | 式部、主計、志摩(通称) |
主君 | 池田吉泰 |
藩 | 鳥取藩家老 |
氏族 | 荒尾氏 |
父母 |
父:松平隆欽 養父:荒尾重就、荒尾秀就 |
兄弟 |
松平堅隆、松平幸隆、戸田忠古、 松平勝紀、勝就、松平隆尚、平岡良寛、仙就 養兄弟:常就、豊就 |
子 | 養子:甫就 |
生涯
編集宝永5年(1708年)、戸田忠時の次男で西福釜松平家を継いだ旗本・松平隆欽の子として江戸にて誕生。
始め、倉吉荒尾家の分家荒尾重就の養子として家督を相続し、荒尾式部修就と名乗る。享保11年(1726年)4月、本家荒尾秀就の嫡男・豊就が27歳で早世し、同年8月、秀就の養子として迎えられ、主計と改名する。同年9月、部屋住みのまま1500石を賜る。
享保13年(1728年)4月、養父・秀就の死去により家督と知行1万1000石を相続し、倉吉荒尾4代当主となる。相続の際、自分知1500石を召上げとなったことで、養家への不面目を理由にしばらく出仕をしなかった。同年11月、勝就の本家相続により、空席となっていた分家の家督を実弟・仙就が相続する。享保16年(1731年)、主計を志摩と改名する。
参考文献
編集- 『倉吉市史』
- 「因府年表巻5」