茅原大墓古墳
奈良県桜井市にある古墳
茅原大墓古墳(ちはらおおはかこふん/ちはらおおばかこふん)は、奈良県桜井市茅原にある古墳。形状は帆立貝形古墳。国の史跡に指定されている。
茅原大墓古墳 | |
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墳丘(右に前方部、左奥に後円部) | |
所在地 | 奈良県桜井市茅原 |
位置 | 北緯34度32分12.23秒 東経135度50分50.00秒 / 北緯34.5367306度 東経135.8472222度座標: 北緯34度32分12.23秒 東経135度50分50.00秒 / 北緯34.5367306度 東経135.8472222度 |
形状 | 帆立貝形古墳 |
規模 | 墳丘長86m |
埋葬施設 | 不明 |
築造時期 | 4世紀末 |
史跡 | 国の史跡「茅原大墓古墳」 |
特記事項 | 最古の人物埴輪出土 |
地図 |
概要
編集奈良盆地南東部、三輪山西麓に築造された古墳である。これまでに1995年度(平成7年度)・2008-2012年度(平成20-24年度)に発掘調査が実施されている。
墳形は、前方部が短小な帆立貝形の前方後円形で、前方部を北北東方向に向ける。墳丘長は約86メートル、後円部は直径約71メートルを測る[1]。墳丘は後円部で3段築成、前方部で2段築成[1]。墳丘外表では葺石・円筒埴輪列(壺形埴輪含む)・形象埴輪(家形・盾持人形・蓋形・鳥形埴輪など)が認められるほか、埴輪棺3基が検出されている。特に盾持人埴輪は最古の人物埴輪として注目される[1]。また墳丘周囲には周濠が巡らされ(一部は溜池等として遺存)、前方部北側には渡土堤が認められる[1]。埋葬施設は明らかでなく[1]、副葬品も詳らかでない。
この茅原大墓古墳は、古墳時代中期初頭の4世紀末葉頃の築造と推定される[1]。奈良盆地南東部は、古墳時代初頭-前期の3世紀-4世紀後半代に箸墓古墳を始めとする大王墓群(大和古墳群)が営造された地として知られるが、本古墳の築造頃になると本古墳以外の明確な首長墓は認められないことから、古墳時代の政権勢力の変動を考察するうえで重要視される古墳になる[1]。
遺跡歴
編集- 1893年(明治26年)、『大和国古墳墓取調書』に「大墓」として記載。
- 1978年(昭和53年)、墳丘測量調査。
- 1982年(昭和57年)12月18日、国の史跡に指定[2]。
- 1995年度(平成7年度)、緊急発掘調査:第1次調査(桜井市教育委員会、2011年に概報刊行、2015年に報告書刊行)[3][4]。
- 2008-2012年度(平成20-24年度)、発掘調査:第2-6次調査(桜井市教育委員会、2011年に概報刊行、2015年に報告書刊行)[3][4]。
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
文化財
編集国の史跡
編集- 茅原大墓古墳 - 1982年(昭和57年)12月18日指定[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 史跡説明板
- 地方自治体発行
- 『史跡茅原大墓古墳 -第1次~第4次発掘調査概要報告書-(桜井市埋蔵文化財発掘調査報告書 第36集)』桜井市教育委員会、2011年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『茅原大墓古墳 -第1次~第6次発掘調査報告-(桜井市埋蔵文化財発掘調査報告書 第43集)』桜井市教育委員会、2015年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 事典類
- 「茅原大墓古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301。
- 刊行後版(ジャパンナレッジ収録)、2006年。
- 清水眞一「茅原大墓古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「茅原大墓古墳」『国指定史跡ガイド』講談社。 - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
- 「茅原大墓古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301。