范文雀

日本の女優(1948−2002)

范 文雀(はん ぶんじゃく、1948年昭和23年〉4月15日 - 2002年平成14年〉11月5日[1][2][3]は、日本女優。愛称は文ちゃん[4]

はん ぶんじゃく
范 文雀
別名義 ハン・ザ・摩耶
生年月日 (1948-04-15) 1948年4月15日
没年月日 (2002-11-05) 2002年11月5日(54歳没)
出生地 日本の旗 日本東京都中野区
出身地 日本の旗 日本広島県広島市
死没地 日本の旗 日本東京都
国籍 中華民国の旗 中華民国
血液型 O型
職業 女優声優
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1968年 - 2002年
配偶者 寺尾聰
1973年 - 1974年
著名な家族 余貴美子(従妹)
主な作品
サインはV
人間の証明
Gメン'75
Gメン'82
『マリアの胃袋』
Love Letter
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1970年昭和45年)に放送されたテレビドラマ『サインはV』をはじめ、多くのテレビドラマや映画に出演した。

来歴

東京都中野区生まれ[1]広島県広島市育ち[5][6][7][8]。一男一女の長女[5]国籍台湾であったが[6]、両親も日本育ちであり、中国語はできなかった。

父親は台湾人の音楽家であったが、范が5歳の時に帰国してしまい、残された文雀は母、兄とともに広島市の祖父母宅へ身を寄せることとなった。祖父母は広島駅前(現在、福屋広島駅前店がある一角)で「胡蝶園」という中華料理店を経営していた。この店は和食以外は何でも提供しており、深夜まで営業していた。また、この祖父は実の祖父ではなく、中国の家での使用人が祖母の愛人として同居しているものであり、実質的な家長は祖母であった。この祖母に溺愛された文雀だけが広島市栄橋の本宅で贅沢に育てられ、母と兄、さらに3年後に帰宅した父はみすぼらしい店の従業員寮の一部屋で暮らすこととなった。その後、両親は東京に移ったが、祖母が文雀を離さず、15歳で東京に家出するまで広島で過ごした。文雀は、最後まで祖母には馴染めなかったという。

広島ノートルダム清心中学校を経て、1969年に清泉女子大学英文別科を卒業した。1970年に上智大学外国語学部比較文化学科中退[5][7]

大学在学中の1968年昭和43年)、テレビ番組『特別機動捜査隊』(NETテレビ)に端役で出演し女優デビュー[7]1970年(昭和45年)、TBSの『サインはV』にエリザベス・サンダースホームで育てられた悲運の混血アタッカー「ジュン・サンダース」役で出演したが、繊細な心を持ちながら、表面的には突っ張った部分を持つジュンの役柄は多くの視聴者の共感を呼び、志半ばで骨肉腫で倒れるストーリー展開に対しては、全国のファンから助命嘆願が数多く届くほどだった。なお、この役はドーランで肌を黒く見せていた。続くスチュワーデスを描いたドラマ『アテンションプリーズ』にも田村早苗役で出演し、范の人気は不動のものとなった。

人気絶頂期の1973年(昭和48年)には、『2丁目3番地』(日本テレビ)で共演した寺尾聰と結婚、一時芸能界を引退したものの、翌1974年(昭和49年)には離婚し、芸能界に復帰した。エキゾチックな風貌と演技力が評価され、梶芽衣子主演の映画『野良猫ロック』シリーズを始め、『服部半蔵 影の軍団』『プレイガール』『Gメン'75』などの人気テレビシリーズや、『リア王』『夏の夜の夢』『鹿鳴館異聞』などの数多くの舞台にも出演した。また、1993年平成5年)からで放送された海外ドラマ『ドクタークイン大草原の女医物語』(NHK)では、19世紀後半のアメリカ西部の舞台に、偏見や差別といった障害に屈することなく信念を貫き、医療に従事する女医ミケーラ・クイン役を主演したジェーン・シーモアの吹き替えを担当した。

感受性が鋭く聡明な人格であり、人に決して媚びずに気に入らなければ大物男優との共演も辞退する男勝りな一面もあったが、自分自身を曲げることなく、常に上を目指すストイックでプロフェショナルな姿勢に、演劇関係者やファンを初めとした多くの人々が魅了され、幅広いファン層をつかんでいた。芸能事務所渡辺プロダクションに所属していた。

1998年(平成10年)頃、リンパ節から悪性リンパ腫との診断を受ける。半年間に及ぶ入院治療などによって小康が得られていたが、2002年(平成14年)10月中旬から体調が悪化、11月5日午後1時38分、入院中だった東京都内の病院で死去した[6]。満54歳没。死因は心不全と発表された[6]。墓所は三浦市三浦霊園。

人物

従妹の余貴美子が出演したNHK総合ファミリーヒストリーで、余の父とその姉である范の母の祖先が広東省鎮平村(現在の官坪村)出身の客家であると判明した。またその折、余が女優を志した動機として、先に女優として活躍していた范の存在があったと話している[9]

名前

出演作品

映画

テレビドラマ

オリジナルビデオ

  • OL博徒 緋牡丹のお龍 (1994年、SHSプロジェクト)
  • OL博徒 緋牡丹のお龍 2 (1994年、SHSプロジェクト)

舞台

脚色

  • さまよえる蘚の恋情(尾崎翠作)

吹き替え

ラジオドラマ

ディスコグラフィ

シングル

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格 規格品番
ワーナー・パイオニア
1971年2月25日 A あなたが憎めない 久仁京介 薊けいじ EP L-1007P
B 最後の一時間 なかにし礼 中村泰士 有明春樹
クラウン-PANAM
1972年8月20日 A さすらいのバロック ちあき哲也 三木たかし EP PW-531
B 日曜日の朝落葉が 伊勢正三 根一滴 小山恭弘
日本コロムビア
1977年3月1日 A 蜉蝣かげろう[注釈 1] 佐藤純弥 菊池俊輔 EP PK-45
B 帰り道[注釈 1]

脚注

注釈

  1. ^ a b TBS系テレビドラマ「Gメン'75」挿入歌。

出典

  1. ^ a b 范文雀とはhttps://kotobank.jp/word/%E8%8C%83%2520%E6%96%87%E9%9B%80-1653131コトバンクより2022年1月9日閲覧 
  2. ^ 范文雀とはhttps://kotobank.jp/word/%E8%8C%83%E6%96%87%E9%9B%80-1103023コトバンクより2022年1月9日閲覧 
  3. ^ 范文雀の解説”. goo人名事典. 2022年1月9日閲覧。
  4. ^ 週刊セブンティーン. 集英社. (1971年2月16日号) 
  5. ^ a b c 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年、545頁。 
  6. ^ a b c d 「サインはV」の范文雀さんが死去”. ZAKZAK (2002年11月9日). 2018年1月20日閲覧。
  7. ^ a b c 『広島県風土記』旺文社、1986年、534頁
  8. ^ 『年刊人物情報事典Ⅲ 芸能・スポーツ・世相編』日外アソシエーツ 1983年 452頁
  9. ^ ファミリーヒストリー』(NHK)2012年10月22日放送
  10. ^ 第13話「赤いサソリVS香港少林寺」欠番
  11. ^ 回遊海路 - ドラマ詳細データ”. テレビドラマデータベース. キューズ・クリエイティブ (1984年3月27日). 2021年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月22日閲覧。
  12. ^ 毎日新聞』1984年3月12日東京夕刊第3版5頁「54年の事件を題材にTVサスペンス」(毎日新聞東京本社) - 『毎日新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)3月号387頁

著書・参考文献

外部リンク