范の犯罪』(はんのはんざい)は、志賀直哉短編小説1913年(大正2年)10月1日発行の『白樺』第四巻第十号に発表。その際、末尾に大正二年「(九月廿四日)」と執筆月日が記された。

范の犯罪
作者 志賀直哉
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌
初出情報
初出白樺』第四巻第十号 (1913年大正2年)10月1日)
刊本情報
収録 『夜の光』
出版元 新潮社
出版年月日 1918年(大正7年)1月
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あらすじ

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若い支那人奇術師・范は、ナイフを投げる演芸中に妻の頸動脈を切断し、殺してしまう。ところがこの事件は大勢の視線の中心に行われた事でありながら、故意の業か、過ちの出来事か、全く解らなくなってしまった。裁判官との対話の中で2年ほど前に生まれた赤子が自分の子ではなかったことによって妻と不和になったこと、それに伴って妻に対して烈しい憎しみを感じていたこと、事件の前晩には「本統の生活」に生きるために妻を殺してしまおうと考えていた事が明らかになる。范は事件の晩にどうしても自分は無罪にならなければならぬと決心し、それが過失と思えるよう申し立ての下拵えをしてみるが、前晩殺すということを考えただけで故殺と決める理由になるだろうかと思うと、だんだんに自分でも分からなくなり、急にじっとしていられないほどの興奮を起こす。これらを范は正直に、快活な心持で話して室を出て行くと、裁判官は何かしれぬ興奮を感じ、すぐにペンを取り上げその場で「無罪」と書いた。

従弟の自殺

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本作品は1918年(大正7年)1月16日刊行の『夜の光』に収録され、その際、細かい修訂の他、初出末尾の部分に削除と訂正が加えられた。

「創作余談」には、

支那人の奇術で、此小説に書いたやうなものがあるが、あれで若し一人が一人を殺した場合、過失か故意か分らなくなるだらうと考へたのが想ひつきの一つ。 所がそんな事を考へて間もなく、私の近い従弟で、あの小説にあるやうな夫婦関係から自殺して了つた男があつた。私は少し憤慨した心持で、どうしても二人が両立しない場合には自分が死ぬより女を殺す方がましだつだといふやうな事を考へた。気持の上で負けて自分を殺して了つた善良な性質の従弟が歯がゆかつた。そしてそれに支那人の奇術をつけて書いたのが「范の犯罪」である。

とある。

従弟の自殺は、1913年(大正2年)7月29日のことで、それをモチーフとして8月7日に書かれた「従弟の死」、及び9月1・9日に執筆記録のある「支那人の殺人」が、「范の犯罪」の原形である。9月13日の日記には「どうしても「范の犯罪」に手がつかぬ。」、14日には「「范の犯罪を書きあげた。疲労しきつた。」とある。最終的に完成したのは9月24日のことで、「「范の犯罪」を後半殆ど書いた。不快から来た興奮と、前晩三時間くらいしかねなかつた疲労が、それを助けて書き上げさした。三秀社へ持つて行つた。」とある。

参考文献

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  • 志賀直哉『志賀直哉全集第二巻』1973年(昭和48年)7月 岩波書店