若生 照男(わこう てるお、1938年6月10日[1][2] - 2006年12月21日[3])は、日本政治家宮城県黒川郡富谷町(現在の富谷市(6期)。

若生照男
わこう てるお
生年月日 1938年6月10日
出生地 日本の旗 日本 宮城県黒川郡富谷村
没年月日 (2006-12-21) 2006年12月21日(68歳没)
出身校 宮城県黒川高等学校卒業
前職 国会議員秘書
子女 長男・若生裕俊
親族 従弟・若生英俊(富谷町長)

当選回数 6回
在任期間 1983年4月 - 2006年12月21日
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来歴

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宮城県黒川郡富谷村(のち富谷町、現・富谷市)出身。宮城県黒川高等学校卒業[1][2]。卒業後は農業に従事し、富谷村青年団長、国会議員秘書、富谷町社会教育委員、富谷小学校、富谷中学校各PTA会長などを務める[2]

1983年富谷町長選挙

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1983年、富谷町長選挙に立候補し、当選する[4]。以来6期務める。


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
若生照男44無所属5,004票57.4%-
若生嘉二-無所属3,721票42.6%-

1991年に無投票で3選を果たした[5]

富谷町は仙台ベッドタウンとなり、人口が増加した。これに伴い、町の基本構想を見直し、緑の保全や、教育、福祉施設の整備などに取り組んだ。

2003年助役収入役を廃止する条例案を議会に提出、廃止した。また、町職員の残業手当を大幅に削減するなど行財政改革に務めた[3]

2006年12月、急性呼吸不全により、死去した[3]

このほか宮城県町村会副会長[3]、黒川地方町村会副会長、黒川地域行政事務組合理事、同副管理者などを務めた[2]

親族

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脚注

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  1. ^ a b 『日本の歴代町村長』第1巻、530頁。
  2. ^ a b c d 『新訂 富谷町誌』939頁。
  3. ^ a b c d 河北新報』2006年12月22日朝刊。
  4. ^ 河北年鑑 昭和59年版 48コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 毎日選挙全記録 1991統一地方選挙 199コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代町村長』第1巻、歴代知事編纂会、1989年。
  • 富谷町誌編さん委員会編『新訂 富谷町誌』富谷町、1995年。