若梅与市
若梅 与市(わかうめ よいち 生年未詳 - 1920年)は明治時代の大相撲力士。
略歴
編集1885年1月に沖ツ浪で初土俵。[1] 1888年5月に若梅に改名し1889年1月三段目[2]。幕下への昇進は確認できず、1897年1月の三段目3枚目が最高位に三段目を連続42場所務めた。尾車部屋では大関大戸平より兄弟子だった。
1899年頃から番付欄外に張り出され若者頭を務めていたようである[1]。その頃より1909年6月まで成績に関わらず常に三段目下位や欄外に記載されている。3日間出場しほとんどの場所で3連敗し休場していた[2]。1910年1月より若者頭が番付に載るようになり、若梅も記載されている。当時の若者頭は髷を結っていたが晩年は小さな髷しかなかった[2]。1920年5月限りで番付から消える[1]。場所後の1920年8月頃に死去した[3]。
土俵歴
編集- 1885年1月 - 序ノ口。
- 1889年1月 - 三段目。
- 1897年1月 - 三段目3枚目。
- 1909年6月 - 引退。
場所別成績
編集春場所 | 夏場所 | ||
---|---|---|---|
1885年 | |||
1892年 | 西三段目 | ||
1893年 | 西三段目15枚目 | 西三段目 | |
1894年 | 西三段目10枚目
不明 |
||
1896年 | 東三段目19枚目 | 東三段目8枚目 | |
1897年 | 西三段目3枚目
不明 |
||
1898年 | 東三段目16枚目 | 西三段目下位 | |
1899年 | 東三段目下位 | 西三段目張出 | |
1900年 | 東三段目最下位 | 西三段目張出 | |
1902年 | 東三段目下位 | 東三段目下位 | |
1903年 | 東三段目下位 | 西三段目最下位 | |
1904年 | 西三段目最下位 | 西三段目最下位 | |
1905年 | 西三段目最下位 | 東三段目最下位 | |
1906年 | 西三段目下位 | 東三段目下位 | |
1907年 | 西三段目下位 | 西三段目最下位 | |
1908年 | 西三段目最下位 | 西三段目最下位 | |
1909年 | 西三段目最下位 | 西三段目最下位 | |