花房職則
日本の安土桃山時代~江戸時代前期の武将。江戸幕府旗本花房職秀長男で、旗本花房氏2代当主(備中吉備郡内8220石→7220石)
花房 職則(はなぶさ もとのり)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将である。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代 |
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生誕 | 天正8年(1580年) |
死没 | 元和6年11月27日(1620年12月20日) |
別名 | 五郎左衛門(通称)、玄長(法名) |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 花房氏 |
父母 |
父:花房職之 母:額田三河守の娘 |
兄弟 | 職則、榊原職直 |
妻 | 津田信蕃の娘 |
子 | 職利、職休、娘(蜷川親房の妻) |
概要
編集花房職之の長男として、天正8年(1580年)に生まれる。慶長5年8月(1600年9月)、徳川家康に拝謁する[1]。
慶長19年11月29日(1614年12月29日)、大坂冬の陣において、野田福島で首級を得る。元和元年5月7日(1615年6月3日)、大坂夏の陣でも戦功を立てた[1]。
元和3年(1617年)には家督と父の遺領を継ぎ、その際1000石を弟・職直に与え、自身は7220石を知行する。元和5年7月(1619年8月)、島津義弘没後、幕府からの要請で、幕府による弔問の銀千枚を島津家まで届けた。元和6年11月27日(1620年12月20日)、41歳で没した。家督は長男・職利が継いだ[1]。
脚注
編集- ^ a b c 『寛政重修諸家譜 第1輯』(国立国会図書館デジタルコレクション)