花房端連
花房 端連(はなぶさ まさつら[1]、1824年8月26日(文政7年8月3日) - 1899年(明治32年)4月7日)は、日本の武士(岡山藩士)、明治期の実業家で、政治家・初代岡山市長である。始め七太夫と称した[2]。旧姓は徳田。号は蘭堂[2]。
花房 端連 はなぶさ まさつら | |
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生年月日 | 1824年8月26日 |
出生地 |
岡山県吉備郡真備町 (現・倉敷市真備町) |
没年月日 | 1899年4月7日(74歳没) |
初代 岡山市長 | |
在任期間 | 1889年9月17日 - 1890年10月30日 |
経歴
編集備中国吉備郡真備町(現・岡山県倉敷市真備町)の出身。岡田藩士徳田尚二の二男として生まれ、岡山藩士花房義考の養子となる。1877年、第二十二国立銀行を設立。のち岡山紡績会社の経営にあたる。岡山商業会議所・山陽鉄道会社・岡山積金会社などの発起人または顧問。1889年、岡山市長。
人物
編集親族
編集関係記録
編集- 岡山県立記録資料館に「記録資料館所蔵花房端連・義質関係資料」が所蔵されている。
脚注
編集参考文献
編集- 岡山県編『日本紳士録 第18版岡山県人物伝』岡山県、1911年。