花房 正盛(はなぶさ まさもり、天正14年(1586年) - 寛文3年9月23日1663年10月23日))は、江戸時代初期の武将旗本。通称、勘右衛門。号は一舟。

生涯

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備前国戦国大名宇喜多氏の家臣であった花房正成の次男として生まれる。母は遠藤俊通の娘[1]。養子は実弟の花房正堅

慶長4年(1599年)より豊臣秀頼に仕えるが、程なくして辞去する[1]。慶長19年(1614年)、大坂の陣に父と共に池田忠継に属して出陣し、大坂城東北・京街道に布陣する。

猿掛領の家督は兄・幸次が継ぐと、正盛は一旗本として幕府に仕える。

寛永3年(1626年使番となり、寛永8年(1631年)には500石を加増され、上総国夷隅郡埴生郡で1000石を領する[1]。寛永10年(1633年)4月16日[1]目付役に転じ、同年から寛永12年(1635年)までは佐渡奉行も勤めた。

万治元年(1658年)8月28日に職務を辞し、寛文3年(1663年)9月23日に78歳で死去した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 寛政重修諸家譜』巻第九十一