芥川氏
芥川氏(あくたがわし)は、日本の氏族の一つ。芥川氏は摂津国芥川宿を拠点とし、室町時代から戦国時代にかけて活動した。芥河氏・摂津芥川氏とも記される[1]。
芥川氏 | |
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本姓 | 不明 |
家祖 | 芥川豊後守 |
種別 | 武家 |
出身地 | 摂津国芥川宿 |
主な根拠地 | 摂津国芥川山城 |
著名な人物 |
芥川豊後守 芥川禅柏 芥川信方 芥川常清 芥川常信 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
概要
編集芥川氏の人物で最初に確認できるのは芥川豊後守である。豊後守は摂津守護・細川勝元の下で川辺郡代として活動しており、文正元年(1466年)に多田院へ向けて段銭課賦の免除を伝達している[1]。
豊後守の後継者と見られるのは芥川禅柏(豊後守、中務丞元信?[2])で、その養子は芥川彦太郎信方である。信方は本来は薬師寺長盛の子であるが、禅柏に実子がいなかったため芥川氏を継承した。細川澄元に与して細川高国と対立したため、永正5年(1508年)5月に堺で殺害されている。なお、禅柏は信方殺害時に阿波国へと逃れようとして溺死している[1]。
天文2年(1533年)には、細川晴元家臣の芥川常清(中務丞、豊後守)が足利義晴から御内書を受け取っている。常清は信方の養子であり、阿波芥川氏の出身であるとされる[3]。
『蜷川親俊日記』天文11年(1542年)6月13日条によれば、常清の子・芥川常信が足利義晴から毛氈鞍覆と白傘袋を賜っている。常信は従来三好長慶に与していたが、天文21年(1552年)4月には晴元方の波多野元秀と通じて長慶と敵対した。翌22年(1553年)8月には芥川山城は落城したため、常信は堺あるいは阿波国へと逃れた[4]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 今谷明『戦国三好一族 天下に号令した戦国大名』洋泉社、2007年。
- 嶋中佳輝「三好長慶入城前の芥川城と摂津上郡支配」『十六世紀史論叢』第18号、2023年。
- 中西裕樹 著「戦国期の摂津国人・芥川氏について」、高槻市立しろあと歴史館 編『しろあとだより』3号、高槻市立しろあと歴史館、2011年 。