船橋榮吉
船橋 榮吉(ふなばし えいきち、本名船橋正二郎[1]、1889年(明治22年)12月15日 - 1932年(昭和7年)12月22日[2])は、日本の声楽家(バリトン)、作曲家、音楽教育者。東京音楽学校声楽科主任教授[2]。新字体で船橋栄吉と表記されることが多い。舟橋栄吉という表記もみられる[3]。姓の読みを「ふなはし」としているものもある[4][5]。
船橋 榮吉 (船橋 栄吉) | |
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生誕 | 1889年12月15日 |
出身地 | 日本 兵庫県 明石市 |
死没 |
1932年12月22日(43歳没) 日本 |
学歴 |
東京音楽学校本科声楽部卒業 東京音楽学校研究科声楽専攻修了 東京音楽学校研究科ピアノ専攻修了 ベルリン音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
声楽家(バリトン) 作曲家 音楽教育者 |
著名使用楽器 | |
声楽 |
経歴
編集兵庫県明石市[5][6]出身。2歳で父を失う。小学校卒業後、家業の旅館を手伝いながら独学し、小学校教員及び中等学校教員免許を取得。また母が長唄をよくしたことから、自身も音楽に関心を持つようになり、特に瀧廉太郎の『荒城の月』『箱根八里』などの唱歌を好んだ。やがて音楽を志して上京、東京帝国大学事務局で給仕として働く傍ら、外山國彦に師事[2]。
1906年(明治39年)東京音楽学校予科に入学。当初はピアノを学んだが、その歌声を聴いた三浦環に声楽部を勧められ、本科に進んでからは声楽を専攻した。アウグスト・ユンケル、ハンカ・シェルデルップ・ペツォルト[7]に師事[8][出典無効]。1910年(明治43年)本科卒業、1912年(明治45年)声楽専攻研究科修了。1914年(大正3年)ピアノ専攻研究科を修了[2]。
修了後は母校で教鞭を執った。この間、指揮や作曲にも挑戦し、1912年(大正元年)には初の自作曲『二人の恋』(詞・服部嘉香)を自らの独唱により初演。1916年(大正5年)「皇后行啓演奏会」では貞明皇后の前で独唱を披露。1917年(大正6年)助教授に昇進。教育活動、作曲活動の一方で盛んに演奏活動を行い、1924年(大正13年)11月29日同校定期演奏会においてベートーヴェン交響曲第9番の日本人による初演がされた際には独唱者を務めた(東京音楽学校奏楽堂、指揮: グスタフ・クーロン、独唱: 長坂好子、曽我部静子、沢崎定之、船橋栄吉、管弦楽: 東京音楽学校)[9][4]。1925年(大正14年)文部省在外研究員としてベルリン音楽院に留学。1927年(昭和2年)帰国後は教授に就任し、声楽科の主任教授を務めた。以降は演奏活動を減らして後進の指導に力を注ぐとともに、文部省検定委員や同視学官、音楽教科書編集委員などを務めた。1932年(昭和7年)大阪開成館の中尾佐助の依頼で編纂した「中等女子音楽教科書」の完成後間もなく、43歳で亡くなった[2]。
作曲作品
編集- 二人の恋(詞 服部嘉香)独唱曲 1912年
- 悲しき愛 1912年[10]
- 木がくれの歌(詞 吉丸一昌)1913年[1][10]
- われらの春(詞 葛原茲) 1913年[10]
- 夜のうた(詞 葛原茲) 1913年[10]
- 餠賣(詞 吉丸一昌) 1913年[10]
- 小さき鳥(詞 野口米次郞) 1921年[10]
- 乳草 独唱曲 1923年
- 父と子(詞 浜田広介)[4]独唱曲 1923年
- 踊り子 独唱曲 1923年
- 偶感 混声合唱曲 1923年
- 登山の唄(詞 小国比沙志) 1929年
- 神奈川県々歌 神奈川県選定(作詞者不明) 1931年[11]
- 牧場の朝(文部省唱歌、詞 杉村楚人冠[12]) 1932年
- 大東京市歌(梯道雄作歌) 1932年[13]
- 風吹きぬ[10]
- 早春賦(詞 吉丸一昌)[14]
- 時の流れ
- 皇軍の歌
- 夜の歌(詞 葛原しげる)[4]
- われらの春(詞 葛原しげる)[4]
- 群馬県立館林女子高等学校校歌(詞 高野辰之)[15]
- 長野県辰野高等学校校歌(詞:北沢小八郎)
- 高松第一高等学校校歌(詞 堀沢周安)[16]
門下生
編集水野康孝[17]、松平晃[18]、城多又兵衛[19]、守田正義[20]、増永丈夫(藤山一郎)[21]、長谷基孝[22][23]など
家族
編集ディスコグラフィー
編集出典
編集- ^ a b “6_吉丸一昌と《木がくれの歌》”. 琴月と冷光の時代. 2021年5月22日閲覧。
- ^ a b c d e f 明治~平成,20世紀日本人名事典, 新撰 芸能人物事典. “船橋 栄吉とは”. コトバンク. 2021年5月21日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “牧場の朝”. NHK みんなのうた. 2021年5月22日閲覧。
- ^ a b c d e “d-score 楽譜 - 船橋栄吉”. www.d-score.com. 2021年5月22日閲覧。
- ^ a b “童謡・唱歌に関する雑学(人名編)”. www.mahoroba.ne.jp. 2021年5月22日閲覧。
- ^ “明石へ行こう☆ wiki - 明石出身有名人”. akashi.ganbaro.org. 2021年5月22日閲覧。
- ^ 東京芸術大学百年史編集委員会 編「第3章 大正・昭和の東京音楽学校. 第5節 教職員. 2 外国人教師. (2) ハンカ・ペツォルト Hanka Petzold」『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻』音楽之友社、2003年、1214頁。ISBN 978-4-2760-0615-7。
- ^ “「船橋栄吉」の用例・例文集 - 用例.jp”. yourei.jp. 2021年5月22日閲覧。
- ^ “近代日本洋楽史/近代日本音楽史の一断面”. www5e.biglobe.ne.jp. 菊池清麿. 2021年5月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “国立国会図書館デジタルコレクション - 検索結果”. dl.ndl.go.jp. 2021年5月22日閲覧。
- ^ “館報「開港のひろば」 横浜開港資料館”. www.kaikou.city.yokohama.jp. 2021年5月22日閲覧。
- ^ “牧場の朝”. 岩瀬牧場 | 牧場の朝のふるさと、岩瀬牧場。 (2019年3月27日). 2021年5月22日閲覧。
- ^ “『大東京市歌~梯道雄~船橋栄吉』”. 愛唱会ジャーナル. 2021年5月22日閲覧。
- ^ “継続とは力なり / 「早春賦」を作詞した「吉丸一昌」43年の軌跡を書籍化! - クラウドファンディング READYFOR (レディーフォー)”. readyfor.jp. 2021年5月22日閲覧。
- ^ “群馬県立館林女子高等学校 - 校歌紹介”. kanjo.main.jp. 2021年5月22日閲覧。
- ^ “校歌 - 高松第一高等学校”. www.taka-ichi-h.ed.jp. 2021年5月22日閲覧。
- ^ 鈴木慎一朗「岡山大学教育学部のオペラ公演の背景:水野康孝の生涯にみる軌跡」『音楽表現学』第15巻、日本音楽表現学会、2017年、19-36頁、doi:10.34353/jmes.15.0_19、ISSN 1348-9038、NAID 130007847107、2021年8月1日閲覧。
- ^ “昭和流行歌編<150>松平 晃 岐路に立つ苦学生”. 西日本新聞me. 2021年5月22日閲覧。
- ^ 「城多 又兵衛」『20世紀日本人名事典』 。コトバンクより2021年12月12日閲覧。
- ^ “守田正義の世界”. morita-masayoshi.seesaa.net. 2021年5月22日閲覧。
- ^ “ニットーレコードの東京進出―多彩な変名歌手陣”. 菊池清麿・日常随想・昭和博物誌. 2021年5月22日閲覧。
- ^ 大日本音楽協会 編「長谷 基孝」『音楽年鑑 昭和16年度』共益商社書店、1941年、209頁。NDLJP:1109457 。
- ^ 南部好江「長谷 基孝」『童謡唱歌名曲全集 別冊』名著出版、2013年、143頁。