興津大三
日本のサッカー選手
興津 大三(おきつ だいぞう、1974年6月15日 - )は、兵庫県出身の元サッカー選手。2013年まで清水エスパルス強化部でスカウト統括および編成担当。アーセナルサッカースクール市川の創設時にGMを務めた。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
カタカナ | オキツ ダイゾウ | |||||
ラテン文字 | OKITSU Daizo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1974年6月15日(50歳) | |||||
出身地 | 兵庫県 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
西淡湊サッカー少年団 | ||||||
1987-1989 | 西淡町立御原中学校 | |||||
1990-1992 | 清水商業高校 | |||||
1993-1969 | 筑波大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-1999 | 清水エスパルス | 17 | (1) | |||
2000 | セレッソ大阪 | 12 | (0) | |||
通算 | 29 | (1) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
人物
編集大学時代はフォワード。大学ナンバーワンルーキーと期待され1997年に清水エスパルスに入団。2000年にセレッソ大阪に移籍し、同年オフに現役を引退した。
引退後は主に清水エスパルス強化部にてスカウト統括及びチーム編成を担当。岡崎慎司[1]、藤本淳吾、大前元紀、本田拓也などを獲得。
2014年にイングランド・プレミアリーグ所属のアーセナルFCが日本で公式に開設したアーセナルサッカースクール市川のGMに就任[2]、2016年に退任した。
所属クラブ
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
筑波大 | - | - | - | ||||||||
1997 | 清水 | 18 | J | 17 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | ||
1998 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | |||||
1999 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
2000 | C大阪 | 16 | 12 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 16 | 0 | |
通算 | 日本 | J1 | 29 | 1 | 4 | 0 | 3 | 0 | 36 | 1 | |
日本 | 他 | - | - | 3 | 1 | 3 | 1 | ||||
総通算 | 29 | 1 | 4 | 0 | 6 | 1 | 39 | 2 |
- 天皇杯:6試合1得点
- 筑波大:3試合1得点、清水:2試合0得点、C大阪:1試合0得点
- その他の公式戦
- 1999年
- 東海チャンピオンシップ 1試合
指導歴
編集- 滝川第二高校:サッカー部コーチ 2001年
- 清水エスパルス:サッカースクールコーチ 2002年
- 清水エスパルス強化部スカウト統括
- アーセナルサッカースクール市川GM
- 島田樟誠高等学校 : サッカー部コーチ 2017年
- ボスコヴィラサッカーアカデミー(奈良県立山辺高等学校と提携) : 監督[3]
出典
編集- ^ 岡崎、清水入団時期待されなかった“8時半の男”が監督を認めさせた - スポニチAnnex 2016年5月4日
- ^ 日本初となるアーセナル公式の常設サッカースクールが開校…アーセナルSS市川の理念とは - サッカーキング 2014年4月15日
- ^ “元Jリーガーの監督から”. iza (2020年6月29日). 2020年6月29日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 興津大三 - WorldFootball.net
- 興津大三 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 興津大三 - J.League Data Siteによる選手データ