自画像 (ソフォニスバ・アングイッソラ)
『自画像』(じがぞう、伊: Autoritratto di Sofonisba Anguissola)は、ソフォニスバ・アングイッソラによる板上の小さな油彩画で、画家が手にしている開いた本に署名および1554年の制作年が記されている[1][2][3]。現在、ウィーンの美術史美術館に所蔵されている[4]。
イタリア語: Autoritratto di Sofonisba Anguissola 英語: Self-portrait | |
作者 | ソフォニスバ・アングイッソラ |
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製作年 | 1554年 |
種類 | 板上に油彩 |
寸法 | 19.5 cm × 12.5 cm (7.7 in × 4.9 in) |
所蔵 | 美術史美術館、ウィーン |
絵画は、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿に掛けられていたと記録され、アングイッソラに帰属されていたが、当初は従弟であったアルブレヒト・フォン・エスターライヒ(アルブレヒト7世、オーストリア大公)の婚約者、イサベル・クララ・エウヘニアの肖像画であると考えられていた[5][6]。フラビオ・カリオーリもこの結論に至ったが、1885年にアドルフォ・ベントゥーリは、1556年3月にフェラーラ公のエルコレ2世・デステに送られた、アングイッソラの父からの手紙と2枚の絵画に言及した。その絵画は、フェラーラ公の娘ルクレツィアのための『自画像』と『クレオパトラ』(ミケランジェロの素描にもとづくもので、現在、フィレンツェのカーサ・ブオナローティにある二枚折り作品)であった。ベントゥーリはまた、1603年から1604年に、アレッサンドロ・デステ枢機卿が自身の絵画の一部を神聖ローマ皇帝ルドルフ2世に贈ったことを記述した[7]。ルドルフに与えられた絵画の目録は現存していないが、ベントゥーリはこの自画像がそれらのうちの1点であると仮定している。ベントゥーリの仮定は、他のすべての美術史家に受け入れられている[8]。
脚注
編集- ^ “Sofonisba Anguissola – Smarthistory”. smarthistory.org. 2020年6月4日閲覧。
- ^ King, Margaret L.. The Renaissance in Europe. Norway: Laurence King Publishing, 2003. P. 246.
- ^ King, Margaret L.. A Short History of the Renaissance in Europe. Canada: University of Toronto Press, 2016. P. 274.
- ^ “Selbstbildnis” (ドイツ語). www.khm.at. 2020年6月4日閲覧。
- ^ Liana De Girolami Cheney, Alicia Craig Faxon, Kathleen Lucey Russo, Self-portraits by women painters, Aldershot, Brookfield: Ashgate, 2000, p. 51, SBN IT\ICCU\MIL\0472038.
- ^ Joanna Woods-Marsden, Renaissance self-portraiture: the visual construction of identity and the social status of the artist, New Haven - London, Yale University Press, 1998, p.101-103, SBN IT\ICCU\UFI\0310798.
- ^ AA VV, Sofonisba Anguissola e le sue sorelle, Milano, Leonardo arte, 1994, SBN IT\ICCU\VEA\0063954, page 11 (catalogue of an exhibition held in Cremona in 1994, Vienna and Washington in 1995.
- ^ AA VV, Italian women artists from Renaissance to Baroque, Milano, Skira, 2007, SBN IT\ICCU\VEA\0702687, page 110