肥後 かおり(ひご かおり、1969年3月12日 - )は、鹿児島県鹿児島市(旧日置郡松元町)出身の女子プロゴルファーである[1]鹿児島県立鹿児島西高等学校卒業。所属は現在フリー。

肥後 かおり
Kaori HIGO
基本情報
名前 肥後 かおり
生年月日 (1969-03-12) 1969年3月12日(55歳)
身長 155 cm (5 ft 1 in)
体重 54 kg (119 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 日本の旗 日本鹿児島県日置郡松元町(現在の鹿児島市
経歴
成績
優勝回数 17回
初優勝 安比高原レディース(1992)
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経歴

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  • 1986年3月、高校在校中はソフトボール部に所属[2]
  • 葛城GCに所属し、寺下郁夫に師事する。1989年ツアープロ登録。1992年に安比高原レディースで初優勝をかざると、同年に初めてのシード権を獲得。翌1993年は優勝こそなかったものの安定した成績を収め賞金ランキング12位となる。以降2004年まで賞金ランキングでは20位以内をキープ。特に1997年から2001年までの5年間は、賞金ランキング7位、4位、3位、6位、2位と賞金女王にはなれなかったものの、女子プロゴルフツアーの中心選手の一人として活躍した。
  • 2004年の日本女子プロの優勝によって、2000年の日本女子オープン、2001年のLPGAツアーチャンピオンシップと合わせて、当時の公式戦(メジャー大会)3大会の全てで優勝を飾った。後に公式戦へ昇格することとなるグンゼカップワールドレディス(現ワールドレディスチャンピオンシップ、当時から、日本の女子ゴルフツアーでは珍しい4日間大会だった)も1995年に優勝しており、大舞台での勝負強さも兼ね備えたゴルファーである。
  • 2000年代中盤以降、優勝から遠ざかっている(前述の2004年の日本女子プロが現在のところ最後の優勝)。2009年10月現在、国内ツアー通算17勝、生涯獲得賞金は7億円をこえて歴代4位にランクされるなど、女子プロゴルフの歴史に名を残す実績を誇っている。
  • 2009年11月、1993年から17年連続で獲得してきた賞金シードからの陥落が決まった。それでもファイナルQTにおいて11位に食い込み、2010年もある程度のツアー出場権を確保している。
  • 前述の17年連続賞金シード入りは2018年に李知姫に抜かれるまでは、不動裕理服部道子と並ぶLPGAツアー記録であった[3]

脚注

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  1. ^ 肥後かおり プロフィール LPGA 公式サイト
  2. ^ 『鹿児島県立鹿児島西高等学校閉校記念誌』(2012年3月)p34-35
  3. ^ 李知姫がツアー記録となる18年連続のシード権”. ゴルフダイジェスト・オンライン (2018年11月20日). 2019年10月26日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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