織田信当
織田 信当(おだ のぶまさ)は、江戸時代前期の旗本寄合。通称は弥十郎。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長5年(1600年) |
死没 | 寛文11年9月3日(1671年10月5日) |
改名 | 重直、信尚、信当 |
別名 | 通称:弥十郎 |
墓所 | 東京都港区赤坂の松泉寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本寄合 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
氏族 | 織田弥十郎家(織田氏信包系信当流) |
父母 | 父:織田信包 |
兄弟 |
信重、寿圭、信則、信当、姫路殿、 松平忠明正室、木下利房正室 |
妻 | 正室:水野守信娘 |
子 | 愚門、信吉、信相 |
生涯
編集丹波国柏原藩主・織田信包の四男として誕生した。初名は重直、次いで信尚を名乗る。
慶安3年(1650年)9月1日、甥の柏原藩主・織田信勝の無嗣改易に伴って、旗本に取り立てられる。丹波氷上郡内に3000石を与えられた。後に小姓組に加えられる。寛文11年(1671年)9月3日死去、享年72。墓地は赤坂の松泉寺にある。
系譜
編集子女は3男2女。