細見直樹
細見 直樹(ほそみ なおき、1981年5月12日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(捕手)。
[[ファイル:|275px]] | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府京都市山科区 |
生年月日 | 1981年5月12日(43歳) |
身長 体重 |
177 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト4位 |
初出場 | 2004年10月3日 |
最終出場 | 同上 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
来歴・人物
編集プロ入り前
編集1999年、比叡山高校で、横浜ベイスターズに所属していた村西哲幸とバッテリーを組み春・夏の甲子園に出場するも、両大会とも初戦で優勝校にあたり敗れた。
同年秋のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから4位指名を受けて入団。スワローズは3位で米野智人を指名しており、育成に時間のかかる高卒の捕手を2人同時に指名するという極めて異例のドラフトを行っている。野口祥順の1位指名、藤井秀悟の逆指名の為に、当初は1位指名も噂された米野を諦めて細見に指名を確約した所、米野が3位でも残っていた為にこのような指名になったと言われている。背番号は米野が51、細見が52と、何かと比較される二人が背番号でも隣り合わせになる事になった。
プロ入り後
編集2000年は15試合、2001年は41試合出場に留まるなどなかなか出場機会に恵まれなかった。2003年までは毎年米野より少ない出場となっている。
2004年は春先に怪我で出遅れたが、フレッシュオールスターゲームで高校時代にバッテリーを組んだ村西と再びバッテリーを形成した。同年は米野が一軍に所属する事もあり、故障者も出た為、初めて米野より多い61試合に出場しファームの正捕手クラスの存在感を示した。その事が評価される形で10月3日の中日戦で1軍公式戦初出場を果たした。初打席は三振に終わったが、その裏のイニングでは守備にもついた。
2005年は飛躍が期待されたが、右膝の故障で大きく出遅れる事になった。オフに手術を行っている。2006年はリハビリに取り組んでいたものの、オフに戦力外通告を受け任意で引退を表明した[1]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | ヤクルト | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:1年 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
記録
編集背番号
編集- 52 (2000年 - 2006年)
脚注
編集- ^ 同じ年に村西も細見と同様に戦力外通告を受けている
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 細見直樹 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)