細川有孝
日本の江戸時代の大名
細川 有孝(ほそかわ ありたか)は、肥後国宇土藩の第2代藩主。初代藩主・細川行孝の三男。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延宝4年5月23日(1676年7月4日) |
死没 | 享保18年6月19日(1733年7月29日) |
改名 | 熊次郎(幼名)→有孝→宗貫(法名) |
官位 | 従五位下、和泉守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 肥後宇土藩主 |
氏族 | 肥後細川氏 |
父母 |
父:細川行孝 母:佐舞(三、源立院、加来佐左衛門の娘) |
兄弟 | 宮松、三之助、有孝 |
妻 | 正室:清涼院(細川利重の娘) |
子 | 興生 |
生涯
編集元禄3年(1690年)、父の死去により家督を継ぐ。江戸城奥詰となったが、元禄16年(1703年)9月6日に、病を理由に長男の有清に家督を譲って隠居した。その後は宗貫と号し、享保18年(1733年)6月19日、58歳で死去した。
系譜
編集父母
- 細川行孝(父)
- 佐舞、三、源立院 - 加来佐左衛門の娘(母)
正室
- 清涼院 - 細川利重の娘
側室
- 妙持院 - 坂口氏
子女
- 細川興生(長男) 生母は妙持院