細川八十八
細川 八十八(ほそかわ やそはち、1902年(明治35年)5月11日[1] - 1973年(昭和48年)1月18日[2][3][4][5])は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
編集石川県出身[2][3][4][5]。丸十花緒工業有限会社代表取締役を務めた[2][3][4][5]。その他、大阪市都島区高島町会連合会長、司法省司法保護委員、大阪市都島区地区方面委員長などに在任した[2][3][5]。
1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に大阪府第1区から日本進歩党公認で出馬して初当選[6]。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で大阪府第2区から民主党公認で出馬して再選され[7]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][4][5]。この間、日本進歩党青年部長、民主党幹事長補佐、同党大阪府連会長などを務めた[2][3][4][5]。以後、第24回総選挙に立候補したが次点で落選した[8]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 『日本人名大事典 現代』平凡社、1979年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。