素晴らしき遺産
『素晴らしき遺産』(すばらしきいさん、原題:Laughter in Paradise)は、1950年に撮影され、1951年に公開されたイギリス映画。オードリー・ヘプバーンが煙草売りの娘として2シーンだけ出演している。日本未公開。
素晴らしき遺産 | |
---|---|
Laughter in Paradise | |
監督 | マリオ・ザンピ |
脚本 |
ジャック・デイヴィス マイケル・パートウィー |
製作 | マリオ・ザンピ |
出演者 |
アリスティア・シム フェイ・コンプトン ガイ・ミドルトン ヒュー・グリフィス ジージ・コール オードリー・ヘプバーン |
音楽 | スタンリー・ブラック |
撮影 | ウィリアム・マクレオド |
編集 | ジウリオ・ザンピ |
製作会社 | トランスオーシャン・フィルム |
配給 |
アソシエイティッド・ブリティッシュ=パテ・ピクチャーズ ストラットフォード・ピクチャーズ |
公開 |
1951年6月 1951年11月11日 日本未公開 |
上映時間 | 93分 |
製作国 | イギリス |
言語 | 英語 |
概要
編集イギリスでの公開は『若気のいたり』の後になったが、この作品はオードリー・ヘプバーンがイギリスに渡って最初に撮影した作品である[1][2][3]。ここでのオードリー・ヘプバーンの役は小さなものであるが、この作品が果たした役割は非常に大きい。この作品でのヘプバーンを見たパラマウントのロンドン製作部長のリチャード・ミーランドが、アメリカの本社にオードリー・ヘプバーンを『ローマの休日』での王女役に推薦したからである[1][2][4]。
また、この作品は評価も高く、1951年に英国で最大の興行収入をあげたイギリス映画になった[1][5]。1970年にはイギリスで『Some Will, Some Won't』の題名でリメイクされている[5]。
日本では劇場未公開のままで、2009年にオードリー・ヘプバーン生誕80周年としてDVDが発売されるまでは、原題どおり『天国の笑い声』として伝記本などでは紹介されている[1][2][4]。
キャスト
編集- デニストン・ラッセル:アリスティア・シム
- アグネス・シム:フェイ・コンプトン
- ルシル・グレイソン:ビアトリス・キャンベル
- ジョアン・ウエブー:ヴェロニカ・ハースト
- サイモン・ラッセル:ガイ・ミドルトン
- ハーバート・ラッセル:ジョージ・コール
- サー・チャールズ・ロブソン:A.E.マシューズ
- エリザベス・ロブソン:ジョイス・グレンフェル
- ロジャー・ゴットフリー:アンソニー・スティール
- ゴードン・ウェブ:ジョン・ローリー
- シーラ・ウィルコット:エレノア・サマーフィールド
- ミスター・ワグスタッフ:ロナルド・アダム
- 軍曹:レスリー・デューワー
- エンディコット:アーネスト・センジャー
- ヘンリー・ラッセル:ヒュー・グリフィス
- ステュワート:マイケル・バートウィー
- 煙草売りの娘:オードリー・ヘプバーン
- ベンソン:マッケンジー・ワード
- エセル:シャーロット・ミッチェル
製作
編集英国のアソシエイティッド・ブリティッシュ映画社(ABC)で配役部長をしていたロバート・レナードは、『素晴らしき遺産』の準備でロンドンへ来ていたイタリアの監督マリオ・ザンピにオードリー・ヘプバーンを推薦した[1][2]。当時昼間の舞台『ソース・ピカント』に出ていたヘプバーンは、夜はロンドンで最高級のナイトクラブである「シロズ」でも『ソース・ピカント』のいくつかの寸劇で構成した短いレヴューを演じていた[1][2]。ロバート・レナードもシロズでヘプバーンを見て気に入っていたのだった[1][2]。シロズに見に言ったザンピと脚本のマイケル・パートウィーはヘプバーンを見て「僕らは息をのんだよ」という[2]。その後ザンピはヘプバーンに夢中になり、『ソース・ピカント』を14回も見たと言って、『素晴らしき遺産』の主役の座をヘプバーンに提供した[1][2][4]。
しかしヘプバーンはショーの短期巡業公演にサインをしたところだと言って断った[1][2][4]。当時ヘプバーンが付き合っていたマルセル・ル・ボンが計画した『ソース・ピカント』の仲間たちと新しいキャバレー・ショーをやる予定だったからだった[1][2][4]。ところが巡業へ出ようとした矢先に興行が中止、マルセル・ル・ボンは責任を感じてひどく落ち込み、アメリカ行きの船に乗って逃げてしまった[1][2][4]。
ショーの頓挫後、ヘプバーンは急いでザンピの所へ行って、「あの役がまだ決まってなくて、私が断ったことをひどく怒ってなければ、ぜひやらせていただきたいんですが。」と言った[1][2]。ザンピは怒ってはおらず、なぜ決定をもう少し延ばさなかったのか悔やんだが、すでにその役はビアトリス・キャンベルに決まった後だった[2][1][4]。「残っているのは端役の煙草売りだけだが、やってみるかね?」とザンピは訊いて、ヘプバーンはぜひやりたいと答えて決定した[1][2]。たった1日で済む仕事であった[2]。
「マリオ・ザンピが特別な新人を発見したことに、みんな気づいていた」と共演者のジョージ・コールは後で言った[2]。またエレノア・サマーフィールドも「パインウッド撮影所を興奮が駆け抜けたわ。オードリーのシーンの編集用プリントを見た人たちは、新しいスターがやって来たと確信したのよ」と付け加えた[2]。
マリオ・ザンピは1951年1月号の映画週刊誌「シネマ」で「彼女はいつか大物スターになるだろう」と語っている[4]。
また、端役にもかかわらず、ヘプバーンは煙草売りの衣装でイギリスの「フィルムレビュー」誌で公開前の1951年3月号の表紙を単独で飾っている[6][7]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n バリー・パリス『オードリー・ヘプバーン 上巻』集英社、1998年5月4日初版発行、111-117,139頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q イアン・ウッドワード『オードリーの愛と真実』日本文芸社、1993年12月25日初版発行、90-94,118頁。
- ^ 日本コロムビアや20世紀フォックスからDVDが発売され、BS11でも放送された『想い出のオードリー・ヘプバーン』でヘプバーン自身が(英国での)最初の作品だと語っている。
- ^ a b c d e f g h アレグザンダー・ウォーカー『オードリー リアル・ストーリー』株式会社アルファベータ、2003年1月20日初版発行、72-73,91頁。
- ^ a b ジェリー・バーミリー『スクリーンの妖精 オードリー・ヘップバーン』シンコー・ミュージック、1997年6月13日初版発行、70頁。
- ^ 『マイ ファニーフェイス/オードリー・ヘプバーン』p4. 近代映画社. (2009年12月15日初版発行)
- ^ 『AUDREY HEPBURN INTERNATIONAL COVER GIRL』p21. TITAN BOOKS. (2009年10月初版発行)