紀元前8世紀

紀元前800年から紀元前701年までの100年間
紀元前770年代から転送)

(きげんぜんはちせいき、きげんぜんはっせいき)は、西暦による紀元前800年から紀元前701年までの100年間を指す世紀。

千年紀: 紀元前1千年紀
世紀: 前9世紀 - 紀元前8世紀 - 前7世紀
カピトリヌスの雌狼英語版カピトリーノ美術館蔵)」。画像は牝狼の乳を飲むロームルスレムスの銅像。ロームルスは都市国家ローマを紀元前753年に建国したと伝えられる初代王。
ディピュロンのアンフォラ英語版」。ギリシア陶器の幾何学様式後期を代表する名品で現在はアテネ国立考古学博物館が所蔵している。
ホメロス。『イリアス』『オデュッセイア』をまとめたとされる盲目の吟遊詩人。画像はウィリアム・ブーグローによる歴史画「ホメロスと案内人」(ミルウォーキー美術館英語版蔵)。
聖地オリンピア。もともとゼウス神が祀られていた神域で、紀元前8世紀からこの神に捧げられるオリンピアの競技が行われることになった。画像は紀元前740年頃に作製され競技に際し奉献されたラコニア様式の青銅製の馬の像(ルーヴル美術館蔵)。
ウラルトゥ王国の繁栄と凋落。ウラルトゥの王サルドゥリ2世の時に勢力が最大となったが、隣国アッシリアに攻め込まれて衰退した。画像はウラルトゥの主神ハルディの像(アルメニアエレバン・エレブニ要塞博物館蔵)。
ドゥル・シャルキン。アッシリア王サルゴン2世の時代に造営された都で10年余ほど用いられた後、ニネヴェに改めて遷都され放棄された。保存状態は悪くなく多くの浮彫で飾られた宮殿の城壁が発掘されている。画像はサルゴン2世と家臣の浮彫(ルーヴル美術館蔵)。
アッシリア支配下のフェニキア人。海上交易を保護されたフェニキア人はこの時代にも大きな足跡を残した。画像はドゥル・シャルキンにかつてあった浮き彫りで、船舶を用いて木材運搬に従事するフェニキア人たちが刻まれている(ルーヴル美術館蔵)。
西周の滅亡。西周の幽王は極めて愚かで美女褒姒に溺れて戯れに烽火を焚いて危急に駆け付けた諸侯を慰み者にしたと伝わる。この伝説的な話はともあれ、申侯の手引きにより遊牧民族犬戎が侵入し、都の鎬京が陥落したあげく幽王が殺害され、西周が滅亡したことは事実であろう。画像は『帝鑑圖說中国語版』幽王本紀の「戲舉烽火」の場面。

出来事

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紀元前800年代

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紀元前780年代

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  • 紀元前789年 - 周の宣王が千畝の役中国語版姜戎と戦うが敗退する。
  • 紀元前786年 - ウラルトゥ王アルギシュティ1世が即位し、ウラルトゥの領土拡大が始まる。
  • 紀元前780年 - 周で涇水・渭水・洛水の三川の水が涸れて岐山が崩れる大地震が発生(三川岐山地震)。

紀元前770年代

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  • 紀元前776年7月1日
  • 紀元前776年9月6日
    • 幽王六年十月朔日辛卯のこの年に日食が起こる(『詩経』「小雅・十月之交」)。
  • 紀元前771年 - 申侯の乱で、鎬京犬戎に攻められ西周幽王が殺される。
    • 幽王の子平王は鎬京を離れ洛邑遷都し東周が成立(周の東遷)。
    • これより春秋時代が始まる。平王を擁立した秦の襄公が諸侯に列する。

紀元前760年代

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紀元前750年代

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紀元前740年代

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紀元前730年代

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紀元前720年代

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紀元前710年代

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紀元前700年代

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人物

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オリエント

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日本の社会

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関連項目

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