粟屋孝春
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将
粟屋 孝春(あわや たかはる)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は宍戸元秀で、粟屋孝重の婿養子として家督を継ぐ。母は内藤興盛の娘。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 |
永禄12年(1569年)[1] または天正元年(1573年)[2] |
死没 | 慶長15年5月4日(1610年6月24日) |
別名 | 五郎左衛門→次郎左衛門尉(通称) |
戒名 | 珪峯不白 |
主君 | 毛利輝元→秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 藤原北家道兼流八田氏族宍戸氏→粟屋氏 |
父母 |
父:宍戸元秀、母:内藤興盛の娘 養父:粟屋孝重 |
兄弟 |
宍戸元続、女(三沢為虎室)、内藤元盛、 孝春、宍戸元真、宍戸景好、宍戸元可、 古満姫(小早川秀秋室、後に興正寺准尊室) |
妻 | 粟屋孝重の娘 |
子 |
女(粟屋元豊室) 養子:元豊(兄・内藤元盛の次男) |
生涯
編集永禄12年(1569年)[1]、または、天正元年(1573年)[2]、宍戸元秀の三男として生まれる[1]。
毛利氏家臣・粟屋孝重(彦兵衛尉)が嫡男のいないまま病となり、家が断絶しそうになったため、旧縁があった孝春が粟屋孝重の娘と婚姻し、婿養子として家督を継いだ[1]。
慶長15年(1610年)5月4日、名古屋城築城の手伝普請のための出張中に死去[1]。享年38、または、42。婿養子の粟屋元豊が後を継いだ[3]。
系譜
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 61.
- ^ a b 『閥閲録』巻91「粟屋吉兵衛」家譜。
- ^ a b 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 190.
- ^ a b 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 60.
- ^ 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 189.
参考文献
編集- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。 国立国会図書館デジタルコレクション
- 『萩藩閥閲録』巻91「粟屋吉兵衛」