粟屋元吉
粟屋 元吉(あわや もとよし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。毛利氏の家臣で長州藩士。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 寛永5年(1628年) |
別名 | 豊臣元吉 |
戒名 | 太用宗乗 |
官位 | 采女正 |
主君 | 毛利輝元→秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 粟屋氏 |
妻 | 国司元武の娘 |
子 | 元忠 |
略歴
編集幼少期より毛利輝元に仕え、「元」の偏諱を与えられて「元吉」と名乗る。天正17年(1589年)に輝元に従って上洛し、豊臣秀吉から豊臣姓を下賜された。
寛永2年(1625年)に長門国阿武郡福田高佐800石を拝領した。隠居後剃髪して小澤津正法寺[1]に入り寛永5年(1628年)に死去した。長男・元忠が家督と福田領400石を継いだ。
脚注
編集- ^ 後に元吉の法号から太用寺に改名。