粛川郡
粛川郡(スクチョンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する郡。
位置 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 숙천군 |
漢字: | 肅川郡 |
日本語読み仮名: | しゅくせんぐん |
片仮名転写: | スクチョン=グン |
ローマ字転写 (MR): | Sukch'ŏn-gun |
統計(2008年) | |
面積: | 418.96 km2 |
総人口: | 178,509 人 |
人口密度: | 426.08 人/km2 |
行政 | |
国: | 朝鮮民主主義人民共和国 |
上位自治体: | 平安南道 |
地理
編集平安南道西部に位置し、西は黄海に面する。
行政区域
編集1邑・1労働者区・20里を管轄する。
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歴史
編集朝鮮王朝時代に平安道粛川都護府が置かれ、1895年に粛川郡となったが、1914年に平原郡に併合された。
朝鮮戦争中の1950年10月には、国連軍による大規模な空挺作戦がおこなわれた(粛川・順川の戦い)。1952年、北朝鮮の行政区画改編により平原郡から粛川面・朝雲面・海蘇面・西海面・検山面・東松面が分離され、粛川郡(1邑20里)が編成された。
年表
編集この節の出典[1]
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道平原郡粛川面・朝雲面・西海面・検山面・東松面・海蘇面および龍湖面の一部地域をもって、粛川郡を設置。粛川郡に以下の邑・里が成立。(1邑21里)
- 粛川邑・興五里・長興里・龍徳里・検興里・大成里・検山里・平和里・双雲里・白巌里・薬田里・基隠里・新豊里・蘇恩里・蓮花里・広川里・倉東里・七里・蛇山里・松徳里・雲井里・平山里
- 1953年 (1邑21里)
- 検興里の一部が検山里に編入。
- 七里の一部が蛇山里に編入。
- 1963年 - 蓮花里が南陽労働者区に昇格。(1邑1労働者区20里)
- 1967年 - 白巌里の一部が龍徳里に編入。(1邑1労働者区20里)
- 1972年 - 白巌里の一部が平和里に編入。(1邑1労働者区20里)
- 1977年 - 蘇恩里がヘビッ里に改称。(1邑1労働者区20里)
- 1982年 - 基隠里が金豊里に改称。(1邑1労働者区20里)