米村喜男衛
米村 喜男衛(よねむら きおえ、1892年(明治25年) - 1981年(昭和56年))は、日本の考古学者、理容師[1]。青森県生まれ。理髪店を営みながら、在野の考古学者として活動し、日本人類学会評議員などを務める。北海道網走市のモヨロ貝塚の発見を通じ、オホーツク文化の存在を知らしめた功績から、網走市名誉市民の称号や青森県知事表彰、北海道新聞文化賞を受けている[2][3]。
経歴
編集1892年、青森県南津軽郡藤崎町に生まれる。1903年、奉公に出る。やがて理髪店に勤めながら、遺跡の発掘調査に参加する。1913年、たまたま訪れた網走市の網走川河口付近でモヨロ貝塚を発見。網走に移住し理髪店を営み[4]ながら、発掘作業を開始。1936年、発見したモヨロ貝塚が国の史跡となる。1936年、貝塚の資料を展示する北見郷土館(現 網走市立郷土博物館)が開館する[5][6]。1954年、ユネスコ主催の国際セミナーに日本代表として出席。
子孫
編集出典
編集- ^ (小坂洋右 2015)
- ^ 『先人を訪ねて』(読売新聞 2013年10月17日13版34面)
- ^ “北海道新聞文化賞 過去の受賞者一覧”. 北海道新聞. 2023年12月21日閲覧。
- ^ 米村衛 2004, pp. 18–19に米村理髪店の写真が掲載されている。
- ^ 米村衛 2004, pp. 24–25
- ^ “モヨロ貝塚発見者「米村喜男衛氏の功績県民に」”. 陸奥新報. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月21日閲覧。
- ^ “春のオホーツク体験紀行・特別インタビュー”. オホーツク21世紀を考える会. 2023年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月21日閲覧。