篠崎 仲苗(しのざき なかなえ、文政9年6月3日1826年7月7日〉 - 慶応3年12月25日1868年1月19日〉)は幕末薩摩藩武士は仲苗。通称は彦十郎。島津斉興から島津忠義に仕えた名越彦太夫高房の次男で本姓橘氏で母方にあたる篠崎蔵太左衛門家の養子となり、名跡を相続する。

江戸芝藩邸において江戸留守居を務めていたが、庄内藩を中心とする江戸幕府軍による江戸薩摩藩邸の焼討事件の際に戦死。墓は現在、鹿児島県鹿児島市の南林寺墓地にある。

大正5年(1916年)、従五位を追贈された[1]

宅地

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『鹿児島城下絵図散歩』では安政6年(1859年)の地図に、現在の鹿児島市清水町の地に『篠崎彦十郎』の名が見え、宅地221坪と表記されている。

親族

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  • 実父:名越彦太夫高房(名越左源太家分家筋の当主。家格代々小番。広敷御用人や側役、当番頭などを務める)
  • 母:篠崎蔵太左衛門仲教の姉
  • 兄:名越彦之進盛恭(仲苗が篠崎家にいって以降、夭折)
  • 弟:名越彦太夫高温(初め彦兵衛。父の家督を相続。奥小姓や目附を務める)

脚注

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  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.42

参考文献

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  • 宮下満郎『戊辰・西南戦争と名越彦太夫』(敬天愛人別刷)西郷南州顕彰会
  • 塩満郁夫、友野春久『鹿児島城下絵図散歩』高城書房
  • 『要用留 天明6年 名越氏』鹿児島県立図書館所蔵