篠山鉄道
兵庫県多紀郡味間村と同郡篠山町の間を結んでいた鉄道路線を運営していた鉄道会社
篠山鉄道(ささやまてつどう)は、かつて兵庫県多紀郡味間村(丹南町を経て、現在の丹波篠山市)と同郡篠山町(同)の間を結んでいた鉄道路線、およびその運営会社である。
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 兵庫県多紀郡篠山町東新町225[1] |
設立 | 1913年(大正2年)4月27日[1] |
業種 | 鉄軌道業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業、自動車運輸業[1] |
代表者 | 社長 末正盛治[1] |
資本金 | 288,800円(払込額)[1] |
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[1]。 |
篠山町駅で出発を待つ列車 (1934年頃) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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現況 | 廃止 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
起終点 |
起点:篠山駅 終点:篠山町駅 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅数 | 5駅 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1915年9月12日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
廃止 | 1944年3月21日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所有者 | 篠山鉄道 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
使用車両 | 車両の節を参照 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
路線諸元 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
路線総延長 | 4.9 km (3.0 mi) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電化 | 全線非電化 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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国鉄篠山駅(現在の篠山口駅)が、篠山町の中心市街地から遠く離れた場所に位置したため、同駅と中心市街地を結ぶ交通機関として建設、1915年(大正4年)に開通した。しかし戦時中の1944年(昭和19年)、同じく篠山口駅を起点として篠山町を通る国鉄篠山線が開通したのと同時に廃止された。
路線データ
編集運行形態
編集1942年11月15日改正当時
- 列車本数:篠山 - 篠山町間11往復半
- 所要時間:全線13分
歴史
編集- 1911年(明治44年)6月12日 坊ケ内安治郎ほか6人に鉄道免許状下付(篠山-大澤間)[2]
- 1913年(大正2年)4月27日 篠山軽便鉄道として会社設立[3][4][5]
- 1915年(大正4年)9月12日 弁天 - 篠山町間開業[6][7][8]。同年度中に国鉄との連帯運輸を開始[9]
- 1919年(大正8年)5月 伊藤英一の株買占めにより伊藤の親戚にあたる末正盛治[10]が社長に就任[11]
- 1921年(大正10年)2月15日 篠山町駅を町中心部に移転し路線延長。西町駅開業[7][12]
- 1923年(大正12年)2月17日 鉄道免許状下付(多紀郡篠山町-同郡福住村間)[13]
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年)4月24日 鉄道免許失効(多紀郡日置村-同郡福住村間 指定ノ期限マテニ工事施行認可申請ヲ為ササルタメ)[17]
- 1935年(昭和10年)1月16日 瓦斯倫動力併用実施[4]
- 1935年(昭和10年)2月15日 魚の棚駅開業[7]
- 1937年(昭和12年)10月13日 鉄道免許失効(多紀郡篠山町-同郡日置村 工事施行ノ認可ヲ受ケサルタメ)[18]
- 1944年(昭和19年)
駅一覧
編集- 1915年時点
- 弁天駅 - 東吹駅 - 岡野駅 - 篠山町駅
- 1944年時点
- 篠山駅 - 東吹駅 - 岡野駅 - 西町駅 - 魚の棚駅 - 篠山町駅
接続路線
編集※開業当初の起点であった弁天駅は、篠山駅から徒歩圏内であったが、少し離れていた。
輸送・収支実績
編集年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
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1915 | 50,392 | 138 | 4,533 | 4,958 | ▲ 425 | 検査結果改算78,862 | 2,631 | ||
1916 | 102,412 | 1,313 | 8,457 | 10,605 | ▲ 2,148 | 3,118 | 4,542 | ||
1917 | 130,658 | 1,111 | 10,604 | 14,260 | ▲ 3,656 | 雑損99 | 2,932 | 5,546 | |
1918 | 167,213 | 942 | 20,136 | 18,078 | 2,058 | 2,748 | 1,982 | ||
1919 | 189,463 | 1,290 | 31,755 | 20,711 | 11,044 | 会計検査改算45 | 2,836 | ||
1920 | 205,435 | 1,260 | 47,230 | 35,041 | 12,189 | 13,119 | 3,545 | ||
1921 | 221,908 | 3,593 | 48,342 | 35,473 | 12,869 | 4,716 | |||
1922 | 228,541 | 4,150 | 54,564 | 37,503 | 17,061 | 2,024 | |||
1923 | 234,665 | 4,970 | 59,736 | 37,725 | 22,011 | 雑損439 | 9,788 | 1,901 | |
1924 | 161,648 | 5,239 | 45,853 | 39,169 | 6,684 | 27,166 | 雑損27,211 | 7,540 | 12,353 |
1925 | 176,570 | 6,327 | 50,146 | 31,996 | 18,150 | 7,289 | 4,634 | ||
1926 | 186,433 | 11,330 | 51,837 | 37,143 | 14,694 | 10,493 | |||
1927 | 179,573 | 20,091 | 57,749 | 34,303 | 23,446 | 自動車1,050 | 16,351 | ||
1928 | 151,092 | 29,554 | 58,495 | 33,876 | 24,619 | 損失補助金1,539 | 償却金1,539 | 15,740 | |
1929 | 152,003 | 34,943 | 62,578 | 34,545 | 28,033 | 自動車2,459 | 15,846 | ||
1930 | 141,159 | 27,889 | 52,936 | 38,926 | 14,010 | 損失補填金5,790 | 雑損償却金9,904自動車1,775 | 14,307 | |
1931 | 148,917 | 20,035 | 46,817 | 26,871 | 19,946 | 雑損816償却金12,922自動車688 | 14,054 | ||
1932 | 145,629 | 23,010 | 44,902 | 24,604 | 20,298 | 雑損償却金2,333自動車1,826 | 13,194 | ||
1933 | 145,399 | 33,063 | 48,356 | 27,991 | 20,365 | 雑損3,313自動車169 | 12,856 | ||
1934 | 160,182 | 28,993 | 45,786 | 30,981 | 14,805 | 雑損1,881自動車53 | 11,332 | ||
1935 | 175,196 | 27,087 | 47,115 | 30,416 | 16,699 | 償却金1,600自動車834 | 8,172 | ||
1936 | 199,011 | 25,658 | 47,664 | 36,344 | 11,320 | 償却金2,400自動車1,236 | 7,236 | ||
1937 | 277,372 | 23,201 | 57,793 | 35,509 | 22,284 | 雑損償却金9,240自動車5,860 | 5,531 | ||
1939 | 469,562 | 44,022 | |||||||
1941 | 467,877 | 51,796 | |||||||
1943 | 694,328 | 53,293 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
車両
編集蒸気機関車
編集- 1(2代) ← 2(初代)
- 2(2代) ← 1(初代)
- 1914年9月、石川鐵工所製の車軸配置0-4-0(B)型10t級タンク機関車。1915年12月17日に1から改称。1919年6月に泉工業へ譲渡された。
- 2(3代)
- 608
- 1888年、英国 ナスミス・ウィルソン製の車軸配置2-4-2(1B1)型37t級タンク機関車。旧鉄道院600形(608)で、京都市を経て1937年に入線した。路線廃止後の1945年4月に高知鉄道へ譲渡された。
客車
編集バス事業
編集1934年時点で1路線、使用車両(常用1予備1)[20]。
脚注
編集- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年6月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『篠山町75年史』
- ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 和久田『私鉄史ハンドブック』p. 139
- ^ a b c d e f 今尾『日本鉄道旅行地図帳』p. 46
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年9月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『大正四年度鉄道院年報』p. 10
- ^ 『人事興信録. 6版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第27回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始並停留場設置」『官報』1921年2月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年2月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 11月26日登記『鉄道省鉄道統計資料. 大正14年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 弁天から篠山へ改称扱い「地方鉄道駅名改称」『官報』1926年2月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 国鉄篠山駅への乗り入れは『篠山町75年史』では1918年となっているが、篠山町駅移転時の1921年の『大正十年兵庫県統計書』ではまだ「篠山町辨天間」となっている。
- ^ 「鉄道免許失効」『官報』1926年4月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許失効」『官報』1937年10月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道運輸営業廃止」『官報』1944年6月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『全国乗合自動車総覧』1934
参考文献
編集- 安保彰夫「篠山鉄道始末記」『鉄道ファン』No.250
- 「交通・通信」『篠山町75年史』篠山町役場、1955年 。2010年6月6日閲覧。
- 中川浩一「失われた鉄道・軌道を訪ねて〔5〕失われた鉄道・軌道を調べるには」『鉄道ピクトリアル』140号、電気車研究会、1963年1月。
- 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年。
- 沖田祐作 編『機関車表 私設企業』滄茫会、1993年。
- 小川功「地方公益企業の乗取失敗と関与銀行家の苦悩--篠山軽便鉄道を事例として」『彦根論叢』第321号。
- 鉄道院『大正四年度鉄道院年報』 国有鉄道之部 。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 9 関西2、新潮社、2009年。
- 『大正十年兵庫県統計書』 第13・14編 。(国立国会図書館デジタルコレクション)
関連項目
編集外部リンク
編集- 丹波篠山インターネットテレビ - 以下の記録映像がある。
- 「篠山軽便鉄道」(1930年/1分36秒)
- 地方公益企業の乗取失敗と関与銀行家の苦悩 : 篠山軽便鉄道を事例として - 小川功、彦根論叢. (321)、滋賀大学経済経営研究所、1999-11