笹野堅
笹野 堅(ささの けん、1901年(明治34年)6月6日 - 1961年(昭和36年)11月6日)は、日本の国文学者。号は葵園。
経歴
編集静岡県志太郡藤枝町出身[1]。静岡県立静岡中学校[2]を経て、1927年、早稲田大学文学部国文科卒業[3]。東京帝国大学文学部国文学研究室藤村作のもとで学び、1929年、同文学部副手、1930年、東京女子大学教授を兼任。北京師範大学、善隣大学教授を歴任した。
人物
編集広島市で缶詰製造・精米業を営み広島市会議員や広島女子商業初代理事長等をつとめた笹野雄太郎[1]の長男である[4]。
狂言研究の先駆者として知られ、天正狂言本を初めとする狂言の諸資料を発掘、調査、紹介し、文献資料に基づく狂言研究の基礎を築いた。また狂言だけでなく幸若舞曲集、御伽草子、室町時代の物語・歌謡、俳諧・浮世草子など、近世文芸も幅広く研究対象とし、そのテクストを作成した[5]。
家族・親族
編集- 笹野家
編纂
編集脚注
編集- ^ a b 『広島県紳士録 昭和8年版』80頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月13日閲覧。
- ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 51、52頁。
- ^ 『早稲田大学校友会会員名簿 昭和10年用』335頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月13日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第9版』サ126 - 127頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月30日閲覧。
- ^ 20世紀日本人名事典
- ^ a b c d 『人事興信録 第7版』さ116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月30日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年9月30日閲覧。
参考文献
編集- 岩崎雅彦「笹野堅氏旧蔵文献資料目録(付 解題)」『能楽研究 : 能楽研究所紀要』第23号、法政大学能楽研究所、1999年3月、163-181頁、CRID 1520290885063891584、hdl:10114/00020524、ISSN 03899616。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『広島県紳士録 昭和8年版』西日本興信所、1933年。
- 『早稲田大学校友会会員名簿 昭和10年用』早稲田大学校友会、1939年。