第2期本因坊戦
第2期本因坊戦(だい2きほんいんぼうせん)は、第1期本因坊戦の終了後の1941年に開始され、1943年に挑戦者橋本宇太郎が、第1期本因坊利仙(関山利一)と挑戦手合五番勝負を行った。この第2局途中で関山が病気棄権し、橋本が第2期本因坊となり本因坊昭宇を号した。
毎日新聞との契約金は当初9万7千2百円としたが、その後減額して8万円となった。
方式
編集- 参加棋士 : プロ棋士の五段以上。
- 挑戦者決定
- 五段級、六段級の予選を行い、上位3名を選抜。
- 選抜者3名と、七段9名の計12名により、4回のトーナメント戦を行い、この各優勝者4名によるリーグ戦で挑戦者を決める。
- コミ4目半、持時間は各11時間。
- 挑戦手合は五番勝負。コミ4目半、持時間は各13時間。
結果
編集五段級予選
編集篠原正美が勝抜き。
六段級予選
編集藤沢庫之助、長谷川章らが出場し、篠原正美、久保松勝喜代らが勝抜き。
第1次予選トーナメント
編集勝抜き者と、七段の瀬越憲作、鈴木為次郎、加藤信、小野田千代太郎、木谷實、呉清源らが参加。
トーナメント戦では、第1回は久保松勝喜代七段(途中昇段)、第2回は木谷實七段、第3回は篠原正美五段が優勝。第4回トーナメント決勝は加藤信と橋本宇太郎が決勝に進出するが、第1回トーナメント決勝時に既に入院中で、決勝戦も慶應病院で行った久保松が、この時点で死去。久保松の代わりに第1回トーナメント準優勝の橋本が繰り上げで、師の久保松の代わりにリーグ出場することとなり、第4回決勝は行われずに加藤もリーグ出場となった。
最終リーグ戦
編集2連勝同士の橋本と木谷の対戦で橋本が白番3目半勝を収め、挑戦者となった。
出場者 / 相手 | 加藤 | 橋本 | 木谷 | 篠原 | 勝 | 負 | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
加藤信 | - | × | × | × | 0 | 3 | 4 |
橋本宇太郎 | ○ | - | ○ | ○ | 3 | 0 | 挑戦 |
木谷實 | ○ | × | - | ○ | 2 | 1 | 2 |
篠原正美 | ○ | × | × | - | 1 | 2 | 3 |
挑戦手合五番勝負
編集1943年5月に日本棋院で第1局を行い、先番橋本中押勝。その後関山の健康状態が悪く、第2局は7月に延期して芝の環翠で行われ、関山は夫人と医師に付き添われて対局した。関山は途中注射をしては盤に向かうという状態だったが、三日目に先番関山が89手目を1手打ったところで倒れ、そのまま入院、橋本が90手目を打って打掛けとした。入院後に関山は棄権を申し入れ、本因坊位は一時日本棋院の預かりになるが、9月7日に棋院審査会が橋本を本因坊に推薦した。
対局者 | 1 5月6-8日 |
2 7月7-9日 |
3 - |
4 - |
5 - |
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本因坊利仙 | × | ×棄権△ | - | - | - |
橋本宇太郎 | ○中押△ | ○ | - | - | - |
(△は先番)
対局譜
編集第2期本因坊戦挑戦手合五番勝負第1局 1943年5月6-8日 本因坊利仙-橋本宇太郎(先番)
黒(橋本)は、右上の守り、左下の生き、右下の大どころの3か所に手を回したいが、黒1(89手目)から様子を見て黒5に守り、続いて黒13を利かしてから黒15に守り、白16を打たせて右下17まで足早な立ち回りを見せた。白も手厚いが、ここでやや黒優勢となった。219手まで黒中押勝。
記念対局
編集本因坊決定後、毎日新聞主催の本因坊就位記念手合として、橋本と藤沢庫之助六段との二番碁が行われ、1勝1敗となる。
続いてやはり記念対局として、中部新聞などの主催で、本因坊・呉清源八段三番碁が、橋本先合先の手合で12月に行われた。第1局は橋本先番2目勝、第2局は橋本白番ジゴ、第3局は橋本先番2目勝で、橋本の2勝1ジゴの結果となった。
幻の挑戦
編集本因坊就位の後で、関山の弟子の梶原武雄五段が、師の代わりに橋本と対戦するという話が持ち上がり、毎日新聞や日本棋院の安永一から橋本にもちかけられた。梶原は頭山満が後見人になるということで乗り気になったが、橋本は師の瀬越憲作に相談し、話は立ち消えになった。
またこの時の本因坊戦の規定では、挑戦者決定リーグの2位または3位の者が、6か月以内に新本因坊に挑戦できるという項目があった。これに従いリーグ2位の木谷實は日本棋院へ挑戦を申請する。しかしこの規定には手合料の取り決めが無く、橋本は師や周囲に相談して、手合料は3万円、全額を公共事業に寄附するという条件を出したが、木谷側でこの工面が出来ず、挑戦を取り下げることになった。