第190機械化歩兵旅団 (人民解放軍陸軍)
第190機械化歩兵旅団(第190机械化步兵旅、英語: 190th Heavy Combined Arms Brigade)は、中国人民解放軍陸軍の旅団の1つ。第39集団軍に所属する。第64軍の旧第190師団(通称「暴風雨師団」)。平時は遼東半島の防衛を担当し、有事の際には、朝鮮半島方面に対する緊急展開部隊となる。
第190機械化歩兵旅団 | |
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所属政体 | 中国 |
所属組織 | 中国人民解放軍陸軍 |
部隊編制単位 | 旅団 |
兵科 | 歩兵 |
兵種/任務 | 機械化歩兵 |
愛称 | 暴風雨旅(暴风雨旅) |
上級単位 | 第64軍-第39軍 |
最終上級単位 | 第39集団軍 |
最終位置 | 遼寧省本溪 |
戦歴 |
国共内戦 朝鮮戦争 |
歴史
編集第190旅団は、第64軍の第190師を前身とする。国共内戦時、保北戦役、正太青滄戦役、清風店戦役、石家荘戦役、平津戦役、太原戦役、蘭州戦役、寧夏戦役等に参加した。
- 1951年2月 - 朝鮮戦争に投入され、第5次戦役に参加した。
- 1955年3月 - 大連でソ連軍第7自動車化狙撃師団の装備を譲り受けると共に、華北独立坦克自行火砲団、砲兵第170団を編入し、67両のISU-152自走砲を調達して、中国人民解放軍最初の機械化師団の編成が始まった。
- 1955年4月15日 - 編成完結。師団は、第568、第569、第570機歩団、1個中型坦克団、1個重型坦克団、1個高砲団、2個地砲団から成り、中国共産党中央軍事委員会直轄となった。師長呉忠、政治委員龔紀明。
- 1957年 - 「遼東半島抗登陸戦役演習」に参加
- 1958年10月 - 「濱海防御戦役中機化師機動作戦」演習に参加
- 1969年 - 中ソ対立以後、予備部隊の役割を果たす。
- 1976年9月26日 - 3千人を動員し、核爆発条件下での訓練に参加。化学防護服を装着した師団兵士は、原爆爆発90分後に爆心地に進入した。
- 1998年~2000年 - 第64集団軍廃止後、第39集団軍に配属
- ? - 機械化旅団に縮小
編制
編集旅団は、4個装甲歩兵大隊、2個戦車大隊、1個砲兵連隊から成る。()内は、中国語名、名誉称号の順。
旅団直属部隊
編集- 警衛・偵察中隊 (警偵連)
- 警衛小隊 (警衛排)
- 武力偵察小隊 (武偵排)
- 儀偵小隊 (儀偵排)
- 自動車中隊 (汽車連)
- 旅団衛生隊 (旅衛生隊)
- 教導隊
- 指揮自動化工作站
- 装備技術・後勤倉庫
装甲歩兵大隊
編集装甲歩兵大隊(装甲歩兵営)は、第1~第4の番号が振られる。各大隊は、3個装甲歩兵中隊、1個装甲歩兵砲兵中隊から成る。装甲歩兵中隊は、装甲兵員輸送車又は歩兵戦闘車 x 10両を装備する。装甲歩兵砲兵中隊は、100mm砲小隊、82mm無反動砲小隊、35mm自動擲弾発射機小隊から成り、各小隊は各々4門を装備する。
- 第1装甲歩兵大隊 (旧第235団)
- 第2中隊 (第2連、老山作戦堅守英雄連)
- 第2装甲歩兵大隊
- 第3装甲歩兵大隊
- 第4装甲歩兵大隊
戦車大隊
編集戦車大隊(担克営)は、第1、第2の番号が振られる。各大隊は、4個戦車中隊から成り、中隊は、戦車 x 10両を装備する(大隊長車を含めて、1個大隊で計41両)。
- 第1戦車大隊
- 第2戦車大隊
砲兵連隊
編集- 指揮中隊
- 偵察小隊
- 測地小隊
- 通信小隊
- 第1砲兵大隊 (地砲1営) - 152mm榴弾砲 x 18門
- 第2砲兵大隊 (地砲2営) - 122mm榴弾砲 x 18門
- 高射砲大隊 (高砲営)
- 2個高射砲中隊
- 1個防空ミサイル中隊
- 対戦車大隊 (反担克営) - 100mm滑空砲とHJ73の混成
- ロケット砲中隊 (火箭砲連) - 122mmロケット砲 x 6門
その他
編集- 工兵・化学大隊 (工化営)
- 化学防護中隊 (防化連)
- 地雷爆破中隊 (地雷爆破連)
- 架橋中隊 (道橋連)
- 通信大隊
- 通信中隊
- 無線電中隊
- 修理大隊
- 第1修理中隊
- 第2修理中隊