第16装甲擲弾兵旅団 (ドイツ連邦陸軍)
第16装甲擲弾兵旅団「ラウエンブルク公国」(だい16そうこうてきだんへいりょだん、ドイツ語:Panzergrenadierbrigade 16, "Herzogtum Lauenburg")は、ドイツ連邦陸軍の旅団の一つ。第6装甲擲弾兵師団隷下にあって、旅団司令部をヴェントルプ・バイ・ハンブルクおよびエルメンホルストに置き、旅団隷下部隊はヘルツォークトゥム・ラウェンブルク郡一帯[1]に駐屯していた。
第16装甲擲弾兵旅団 | |
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創設 | 1958年1月2日 |
廃止 | 1994年5月5日 |
所属政体 | ドイツ |
所属組織 | ドイツ連邦陸軍 |
部隊編制単位 | 旅団 |
上級単位 | 第3装甲師団 - 第6装甲擲弾兵師団 |
最終位置 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 エルメンホルスト |
歴史
編集1958年にフレンスブルクで編成されたA6戦闘群を基に旅団に改編され、当初第3装甲師団隷下にあって隷下部隊はフレンスブルク、シュレースヴィヒおよびフースムに駐屯していた。当初の旅団隷下部隊は次のとおりであった。旅団司令部中隊、第168装甲偵察中隊、第16擲弾兵大隊、第162擲弾兵大隊および第26擲弾兵大隊から成っていた。
1959年に陸軍第2次編制によって第16装甲擲弾兵旅団に改編され第6装甲擲弾兵師団隷下に編成替えされる。この時の旅団隷下部隊は以下のとおりであった。
- 旅団司令部中隊
- 第161装甲擲弾兵大隊
- 第162装甲擲弾兵大隊
- 第163装甲擲弾兵大隊
- 第164戦車大隊
- 第165砲兵大隊
- 第166補給大隊
- 第167野戦予備大隊
- 第160装甲偵察中隊
- 第160駆逐戦車中隊
- 第160装甲工兵中隊
- 第160防空中隊
1969年に旅団司令部はエルメンホルストおよびヴェントルプ・バイ・ハンブルクに移駐する。
1981年、陸軍第4次編制により旅団編制に改正が加えられ以下のとおりとなる。
- 旅団司令部中隊
- 第161混成装甲擲弾兵大隊
- 第162装甲擲弾兵大隊
- 第163装甲擲弾兵大隊
- 第164戦車大隊
- 第165装甲砲兵大隊
- 第66猟兵大隊
- 第63野戦予備大隊
- 第160駆逐戦車中隊
- 第160装甲工兵中隊
- 第160整備中隊
- 第160補給中隊
1987年に陸軍の全旅団に先駆けて名誉称号「ラウエンブルク公国」が与えられた。そして、1994年5月5日に旅団は解隊される。
歴代旅団長
編集代 | 氏名 | 着任 | 離任 |
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1 | ユルゲン・ベンネッケ陸軍大佐 de:Jürgen Bennecke |
1958年4月1日 | 1960年4月30日 |
2 | ハッソ・ナイチェル陸軍大佐 Hasso Neitzel |
1960年5月1日 | 1962年7月15日 |
3 | ヴェルナー・エブリンク陸軍准将 de:Werner Ebeling |
1962年7月16日 | 1965年10月31日 |
4 | オスカー=フーベルト・デンハルト陸軍大佐 de:Oskar-Hubert Dennhardt |
1965年11月1日 | 1968年3月31日 |
5 | ヴェルナー・マンス陸軍大佐 Werner Manns |
1968年4月1日 | 1970年3月31日 |
6 | パウル=ゲオルク・クレッフェル陸軍准将 Paul-Georg Kleffel |
1970年4月1日 | 1972年4月30日 |
7 | ヨアヒム・ブルーン陸軍准将 Joachim Bruhn |
1972年5月1日 | 1977年9月30日 |
8 | ゲルハルト・ブルークマン陸軍大佐 Gerhard Brugmann |
1977年10月1日 | 1979年9月30日 |
9 | エックハルト・クリーヴィン軍准将 Eckhard Klewin |
1979年10月1日 | 1984年3月31日 |
10 | ユルゲン・フォン・ファルケンハイン陸軍准将 Jürgen von Falkenhayn |
1984年4月1日 | 1988年3月31日 |
11 | ロルフ・オッケン陸軍准将 Rolf Ocken |
1988年4月1日 | 1991年3月31日 |
12 | エックハルト・フィッシャー陸軍大佐 Eckhart Fischer |
1991年4月1日 | 1994年12月31日 |