第11特科連隊
第11特科連隊(だいじゅういちとっかれんたい、JGSDF 11th Artillery Regiment(Mechanized))は、真駒内駐屯地に駐屯していた第11師団隷下の野戦特科部隊で2008年(平成20年)3月25日に廃止された。
第11特科連隊 | |
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創設 | 1962年(昭和37年)1月18日 |
廃止 | 2008年(平成20年)3月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 特科 |
兵種/任務 | 自走砲 |
所在地 | 北海道 札幌市 |
編成地 | 真駒内 |
最終上級単位 | 第11師団 |
担当地域 | 道央、道南 |
沿革
編集- 1962年(昭和37年)1月18日:第11特科連隊が真駒内駐屯地において編成完結(6個大隊基幹)。
- 1965年(昭和40年)1月20日:M51 75mm高射砲の配備に伴い、第6大隊を改編。
- 1969年(昭和44年)3月25日:第1大隊が滝川駐屯地に移駐。
- 1972年(昭和47年)3月24日:35mm2連装高射機関砲 L-90の配備に伴い、第6大隊を改編。
- 1982年(昭和57年)3月25日:部隊改編。
- 情報中隊を新編。
- 第5大隊第12中隊を廃止し、多連装ロケット中隊(75式130mm自走多連装ロケット弾発射機装備)を新編。
- 75式自走155mmりゅう弾砲の配備に伴い、第5大隊を改編。
- 1985年(昭和60年)3月20日:75式自走155mmりゅう弾砲の配備に伴い、第2大隊、第3大隊、第4大隊を改編。
- 1986年(昭和61年)3月25日:75式自走155mmりゅう弾砲に換装完了。
- 1987年(昭和62年)3月26日:81式短距離地対空誘導弾配備に伴い、第6大隊を改編。
- 1989年(平成元年)3月24日:第6大隊(高射特科)を分離独立し、師団直轄として第11高射特科大隊を新編。
- 1996年(平成 8年)3月29日:第4大隊が廃止。第1大隊(滝川駐屯地)は廃止後、真駒内駐屯地において新編。
- 2005年(平成17年)3月28日:多連装ロケット中隊を廃止。
- 2008年(平成20年)3月26日:第11師団の旅団化(即応近代化旅団)に伴い、第11特科連隊から第11特科隊に改編。
廃止時の部隊編成
編集- 第11特科連隊本部
- 第11特科連隊本部中隊「11特-本」
- 情報中隊「11特-情」
- 第1大隊
- 第1大隊本部
- 本部管理中隊「11特-1-本」
- 第1中隊「11特-1-1」 - 75式自走155mmりゅう弾砲
- 第2中隊「11特-1-2」 - 75式自走155mmりゅう弾砲
- 第2大隊
- 第2大隊本部
- 本部管理中隊「11特-2-本」
- 第3中隊「11特-2-3」 - 75式自走155mmりゅう弾砲
- 第4中隊「11特-2-4」 - 75式自走155mmりゅう弾砲
- 第3大隊
- 第3大隊本部
- 本部管理中隊「11特-3-本」
- 第5中隊「11特-3-5」 - 75式自走155mmりゅう弾砲
- 第6中隊「11特-3-6」 - 75式自走155mmりゅう弾砲
- 第5大隊
- 第5大隊本部
- 本部管理中隊「11特-5-本」
- 第9中隊「11特-5-9」 - 75式自走155mmりゅう弾砲
- 第10中隊「11特-5-10」 - 75式自走155mmりゅう弾砲
- 第11中隊「11特-5-11」 - 75式自走155mmりゅう弾砲
歴代幹部
編集代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 篠田平吉 | 1962年 | 1月18日 - 1963年 7月31日第7特科連隊付 | 第1教育団本部付 |
2 | 平田皓二 | 1963年 | 8月 1日 - 1965年 7月15日陸上自衛隊高射学校総務部長 | 東部方面総監部業務室長 |
3 | 三品幸三郎 | 1965年 | 7月16日 - 1967年 7月16日統合幕僚会議事務局第5幕僚室勤務 | 陸上幕僚監部付 |
4 | 渡辺勉 | 1967年 | 7月17日 - 1969年 3月16日陸上幕僚監部付 | 陸上幕僚監部第1部総括班長 |
5 | 山口叡 | 1969年 | 3月17日 - 1971年 3月15日防衛大学校教授 | 統合幕僚会議事務局第3幕僚室勤務 |
6 | 斎藤訓生 | 1971年 [1][2] |
3月16日 - 1973年 3月15日自衛隊島根地方連絡部長 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
7 | 櫻井修吾 | 1973年 | 3月16日 - 1975年 3月16日第1特科連隊第5大隊長 兼 北富士駐とん地司令 |
陸上自衛隊富士学校勤務 |
8 | 廣木亨 | 1975年 | 3月17日 - 1976年 8月 1日陸上幕僚監部第2部情報第2班長 | 第5師団司令部幕僚長 |
9 | 松森正也 | 1976年 | 8月 2日 - 1978年 7月31日陸上自衛隊調査学校学校教官 | 陸上自衛隊調査学校研究部長 |
10 | 増田博 | 1978年 | 8月 1日 - 1980年 7月31日陸上自衛隊幹部学校研究員 | 陸上自衛隊幹部学校研究員 |
11 | 山上亮二 | 1980年 | 8月 1日 - 1982年 8月 1日札幌駐とん地業務隊長 | 中部方面総監部総務部長 |
12 | 岩下義喜 | 1982年 | 8月 2日 - 1984年 7月31日陸上自衛隊富士学校学校教官 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
13 | 瀧呑昭龍 | 1984年 | 8月 1日 - 1987年 3月15日陸上幕僚監部防衛部研究課 総括班長 |
陸上自衛隊富士学校研究員 |
14 | 小野晴敏 | 1987年 | 3月16日 - 1989年 3月31日中部方面総監部調査部調査課長 | 陸上自衛隊富士学校特科部研究課長 |
15 | 高橋英巳 | 1989年 | 4月 1日 - 1990年 3月15日第10師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊幹部学校勤務 |
16 | 中村浩三郎 | 1990年 | 3月16日 - 1992年 8月 2日第4師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊富士学校総合研究開発部 主任研究開発官 |
17 | 假屋忍 | 1992年 | 8月 3日 - 1995年 3月31日陸上幕僚監部防衛部運用課 運用第2班長 |
陸上自衛隊富士学校特科部副部長 |
18 | 田吹逸夫 | 1995年 | 4月 1日 - 1998年 3月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 東北方面総監部総務部長 |
19 | 安部壽和 | 1998年 | 4月 1日 - 2001年 1月10日陸上幕僚監部人事部募集課総括班長 | 中部方面総監部防衛部長 |
20 | 瀬野治久 | 2001年 | 1月11日 - 2003年 3月26日陸上幕僚監部調査部調査課 保全班長 |
東部方面情報保全隊長 |
21 | 牧田嘉己 | 2003年 | 3月27日 - 2005年 7月31日陸上幕僚監部人事部厚生課 給与室長 |
陸上自衛隊研究本部総合研究部 第2研究課長 |
末 | 原圭三 | 2005年 | 8月 1日 - 2008年 3月25日陸上自衛隊幹部学校付 | 西部方面総監部付 →2008年4月1日 自衛隊佐賀地方協力本部長 |
主要装備
編集- 75式自走155mmりゅう弾砲
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 対砲レーダ装置 JMPQ-P7
- 対迫レーダ装置 JMPQ-P13
- 64式7.62mm小銃
第11特科連隊編成間の廃止(改編)部隊
編集脚注
編集- ^ 1972年札幌オリンピック支援集団式典支援隊長兼補 1月11日
- ^ 1972年 2月16日 札幌オリンピック支援集団式典支援隊長兼補解除
出典
編集- 『日本砲兵史 : 自衛隊砲兵過去現在未来』(陸上自衛隊富士学校特科会 編 1980.6)