第百五十号特設輸送艦
第百五十号特設輸送艦[注釈 2](だいひゃくごじゅうごうとくせつゆそうかん)は、日本海軍の特設輸送艦。最初の作戦輸送で沈没した。
第百五十号特設輸送艦 | |
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1944年3月13日 呉海軍工廠の特設輸送艦群 (最も左の艦が第百五十号特設輸送艦) | |
基本情報 | |
建造所 | 日立造船向島造船所 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 特設輸送艦 |
級名 | 艦型名なし[注釈 1] |
建造費 | 3,479,000円[1] |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
起工 | 1943年12月28日 |
進水 | 1944年1月27日 |
竣工 | 1944年3月10日 |
最期 | 1944年7月27日被爆沈没 |
除籍 | 1944年9月5日 |
要目(注釈無き限り計画時) | |
基準排水量 | 950トン |
公試排水量 | 1,010トン |
全長 | 80.50m |
水線長 | 75.50m |
垂線間長 | 72.00m |
最大幅 | 9.10m |
深さ | 5.65m |
吃水 | 2.89m |
機関 | 400型中速ディーゼル 3基 |
推進 | 3軸 |
出力 | 1,200hp |
速力 | 13.4ノット |
燃料 | 重油 68トン |
航続距離 | 13.4ノットで3,000カイリ |
乗員 | 計画時90名 |
搭載能力 | 250トン |
兵装 |
40口径8cm高角砲 単装1基 25mm機銃 3連装2基 |
搭載艇 | 短艇2隻 |
普遍的には第百一号型輸送艦の6番艦[注釈 3]、あるいは37番艦[注釈 4]とされているが、輸送艦籍に入らず鎮守府所管の定めを解かれたため、法令上は第百一号型輸送艦に分類されたことはない。
艦歴
編集マル戦計画の輸送艦、仮称艦名第1550号艦として計画。当初は主機を艦本式甲25型高圧単式タービン、主缶を零号乙15改型ホ号缶とする予定だったが、これら機関部の製造が間に合わなかったため、大阪造船所、川南工業浦崎工場、日立造船向島造船所に建造が割り当てられた艦のうち、最初の2隻ずつは400馬力の中速ディーゼルを3基装備して建造されることとなった。本艦は、その6隻のうちの1隻である。
1943年12月28日、日立造船向島造船所で起工。1944年1月27日、進水。2月5日、第百五十号特設輸送艦と命名され、所管を呉鎮守府と仮定。18日、尾道市外の向島日立造船所第一工場内に艤装員事務所を設置し事務開始。3月10日竣工し、呉鎮守府所管に定められる。連合艦隊に編入され軍隊区分補給部隊に配置。
4月28日、東松七号船団に加入し東京発。本艦は浅香丸、第128号特設輸送艦とともにパラオ行き船団に配される。7月27日、パラオでアメリカ艦上機の空襲を受け沈没した。
9月5日、第百五十号特設輸送艦は呉鎮守府所管の定めを解かれた。
輸送艦長
編集- 岩田虎雄 大尉:1944年3月10日 - 1944年8月1日
脚注
編集- 注釈
- 脚注
- ^ 戦史叢書『海軍軍戦備(2)』、p. 96。ただしこの価格は当初計画のタービン、ボイラー装備艦としての予算成立時の価格であり、ディーゼル装備艦としての価格ではない。
参考文献
編集- 海軍省
- 法令、令達
- 昭和19年2月5日付 内令第298号、官房軍機密第136号。
- 昭和19年3月10日付 内令第428号。
- 昭和19年9月5日付 内令第1043号。
- 人事発令
- 昭和19年3月10日付 海軍辞令公報(部内限)第1365号。
- 昭和19年8月9日付 秘海軍辞令公報 甲 第1558号。
- 戦時日誌、その他
- 呉鎮守府戦時日誌。
- 昭和19年3月9日付 海軍公報(部内限)第4636号。
- 法令、令達
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
- 世界の艦船 No. 522 増刊第47集 『日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書、朝雲新聞社。
- 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、1971年。
- 第71巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(5) -第三段作戦中期-』、1974年。
- 第88巻『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、1975年。
- 丸スペシャル No. 50 日本海軍艦艇シリーズ 『掃海艇・輸送艦』、潮書房、1981年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。