第一大戸川橋梁
第一大戸川橋梁(だいいちだいどがわきょうりょう)は、滋賀県甲賀市信楽町勅旨[1]の大戸川にかかる鉄道橋である[2][3][4]。
第一大戸川橋梁 | |
---|---|
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 滋賀県甲賀市信楽町勅旨[1] |
交差物件 | 淀川水系大戸川 |
設計者 施工者 |
設計:日本国有鉄道大阪工事事務所 施行:森本組 |
建設 | 1954年 |
座標 | 北緯34度53分14.773秒 東経136度4分12.428秒 / 北緯34.88743694度 東経136.07011889度 |
構造諸元 | |
形式 | ポストテンション式単線1形4主桁 |
全長 | 31m[1][2] |
幅 | 4m[2] |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
概要
編集信楽高原鐵道信楽線の勅旨駅と玉桂寺前駅間[5]、玉桂寺前駅より200m北側に位置しており[2]、甲賀市が維持管理している。
1953年(昭和28年)の集中豪雨により、3連の上路鈑桁であった橋が流出したため[2]、中間に橋脚をつくらないスパン30mの橋を作ることとなり、1954年(昭和29年)8月26日に竣工した[6][7][8]。日本初の本格的なプレストレスト・コンクリート橋である[4][8][9]。支承にはコンクリート製ロッカー沓が採用されている[8]。フランス人技師セルジュ・コバニコの基本設計を基に、日本国有鉄道の大阪事務所次長であった仁杉巌らが実施設計を行った[2][10]。本橋の設計・施工にあたり国鉄のコンクリート技術者により様々な研究・検討が行われ、その後のプレストレスト・コンクリート橋の発展に大きく寄与した[8]。
コンクリートの乾燥収縮などの影響を除くための標準桁が本橋の北東側に暴露されている[8]。施工後30年が経過した1984年(昭和59年)に耐久性の調査を行い、外観上ひび割れの変状がみられず、クリープ変形による反りが設計時の予測値とほぼ一致していることが確認された[10]。また、2007年(平成19年)にコンクリートの品質と耐久性を検証するため、標準桁で様々な分析が行われ、中性化がまったく進んでいないこと、透過係数が極めて低く、品質が高いことが確認された[2][10]。
2008年(平成20年)7月8日に「信楽高原鐵道第一大戸川橋梁」の名称で国の登録有形文化財(建造物)に登録された[6]。2021年(令和3年)、国の文化審議会は第一大戸川橋梁を重要文化財に指定するよう答申した[2][4][7][11]。同年8月2日付の官報での告示を経て、登録有形文化財から重要文化財へ登録が変更された[3]。なお、登録名は従前の信楽高原鐵道を取り除いた「第一大戸川橋梁」に変更されている[3]。
脚注
編集- ^ a b c “広報あい こうか 2009年1月1日号” (PDF). 甲賀市役所. p. 12 (2009年1月1日). 2021年11月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “戦後建造物で滋賀県初 信楽高原鉄道の橋脚、重文指定へ”. 朝日新聞デジタル. (2021年5月21日). オリジナルの2021年5月22日時点におけるアーカイブ。 2021年8月8日閲覧。
- ^ a b c 第一大戸川橋梁 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ a b c “信楽高原鉄道「第一大戸川橋梁」国の重文指定へ 長命寺「三仏堂」「護法権現社拝殿」も”. 京都新聞. (2021年5月21日). オリジナルの2021年6月2日時点におけるアーカイブ。 2021年8月8日閲覧。
- ^ 朝日 2011, p. 15.
- ^ a b 朝日 2011, p. 18.
- ^ a b 信楽高原鐵道の第一大戸川橋梁が重要文化財に - 甲賀市教育委員会事務局
- ^ a b c d e 大坪正行、濱田譲「信楽高原鐡道「第一大戸川橋梁」」『コンクリート工学』第51巻第2号、公益社団法人日本コンクリート工学会、2013年、150-151頁、doi:10.3151/coj.51.150。
- ^ 朝日 2011, p. 17.
- ^ a b c 上田洋「第一大戸川橋梁」『コンクリート工学』第46巻第9号、社団法人日本コンクリート工学協会、2008年、35-38頁、doi:10.3151/coj1975.46.9_35。
- ^ 『重要文化財(建造物)の指定について』(PDF)(プレスリリース)文化庁、2021年5月21日 。2021年8月8日閲覧。
参考文献
編集- 『週刊歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄 29 近江鉄道/信楽高原鐵道/伊勢鉄道/養老鉄道』朝日新聞出版、2011年10月9日。