第一三二海軍航空隊
第一三二海軍航空隊(だい132かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。南西諸島防衛の主力偵察機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で哨戒・偵察・対艦攻撃に従事した。
沿革
編集フィリピン戦線で壊滅した第一航空艦隊の一部が台湾に撤退し、台湾または沖縄の防衛を担うために4個航空隊を再編した。一三二空は偵察機隊として再編されたもので、松山飛行場を原隊に指定され、台南を主力基地とした。彩雲を主力とし、紫電を加えていた。沖縄の地上戦が始まると、沖縄方面への索敵・戦果確認偵察に赴くことが多くなったが、昭和20年5月の第五次菊水作戦以降の行動は、台湾に増援された他の偵察部隊の行動と混同されており、判然としていない。
- 昭和20年2月5日 松山飛行場を原隊として開隊。第一航空艦隊附属。1個偵察隊24機(定数であり、満たしたことはない)。
- 昭和20年3月26日 彩雲2機で哨戒中、沖縄に進撃中の敵機動部隊を発見。
- 昭和20年4月1日 沖縄上陸戦開始。連日沖縄に向け哨戒を開始。
- 昭和20年4月6日 第一次菊水作戦発動。10日まで連日沖縄方面の敵水上部隊を索敵。
- 昭和20年4月12日 第二次菊水作戦発動。14日まで連日沖縄方面の敵水上部隊を索敵。
- 昭和20年4月16日 第三次菊水作戦発動。八重山諸島沖の敵水上部隊を索敵。
- 昭和20年4月17日 台南より新竹に進出。
- 昭和20年4月28日 第四次菊水作戦終了。2日間にわたり戦果確認偵察。
- 昭和20年5月3日 第五次菊水作戦発動。
この頃から一三二空単独の行動が不明確となる。以後、在台湾の各偵察機隊は散発的な偵察行動に従事。
- 昭和20年6月15日 一航艦解散。高雄警備府第26航空戦隊に転籍。
- 終戦後解隊
「戦史叢書」によると、菊水作戦従事中でも1回の索敵に彩雲2機を抽出するのが精一杯で、エンジン不調のために索敵を断念するケースが多かった。時には彩雲が出撃できず紫電で代用することも多く、稼働率は著しく低かった。6月以降も索敵は継続されたが、他の偵察隊と混用されているようである。
主力機種
編集歴代司令
編集- 下田久夫(昭和20年2月5日-終戦後解隊)