竹内己喜男
竹内 己喜男(たけうち みきお、1934年2月22日[1] - 2013年5月[2])は、日本のフィギュアスケート選手(アイスダンス)。パートナーは金子恵以子。アイスダンスのフィギュアスケート審判員[3]。
1957年から1964年まで全日本選手権アイスダンス8連覇。1962年世界フィギュアスケート選手権で17位。息子にはフィギュアスケート選手の竹内光明、竹内義明がいる。明治大学卒業。
経歴
編集1954年、全日本ジュニア選手権男子シングルに出場し、大橋和夫に次いで2位となる。
1957年、金子恵以子とカップルを組み全日本選手権に出場し優勝。アイスダンスの初代全日本チャンピオンとなる。その後、1964年まで全日本選手権で8連覇を達成する。
1962年の世界フィギュアスケート選手権には、日本人として初めて同大会のアイスダンスに出場し、17位となった。
引退後、日本スケート連盟強化部長を務め、1972年の札幌オリンピック日本選手団監督、1976年のインスブルックオリンピック日本選手団監督、1980年のレークプラシッドオリンピック日本選手団コーチなどを歴任した。
主な戦績
編集大会/年 | 1953-54 | 1954-55 | 1955-56 | 1956-57 | 1957-58 | 1958-59 | 1959-60 | 1960-61 | 1961-62 | 1962-63 | 1963-64 |
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世界選手権 | 17 | ||||||||||
全日本選手権 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |||
全日本Jr.選手権 | 2 |
脚注
編集- ^ 日本体育協会編集 『'71日本アマチュアスポーツ年鑑』 p.41
- ^ 三商同窓会報 No.52 平成25年7月1日 p.24
- ^ ISU Communication No. 1125 p.20 - ウェイバックマシン(2005年3月30日アーカイブ分)