竹中統一
日本の実業家
竹中 統一(たけなか とういち、1942年〈昭和17年〉12月8日 - )は、日本の実業家。株式会社竹中工務店取締役名誉会長[2]、創業家である竹中家の第17代当主。
たけなか とういち 竹中 統一 | |
---|---|
生誕 |
1942年12月8日(81歳) 日本・兵庫県神戸市 |
現況 | 2020年(令和2年)現在、活動中。 |
住居 | 日本 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
日本・甲南大学経済学部 アメリカ合衆国・ミシガン州立大学大学院経営学部 |
職業 | 実業家 |
活動期間 | 1965年 - |
時代 | 昭和時代中期 - |
団体 | 竹中工務店 |
活動拠点 | 日本 |
肩書き | 株式会社竹中工務店取締役名誉会長 |
子供 |
長男:竹中勇一郎(株式会社竹中工務店取締役常務執行役員) 長女:竹中敦子 次女:竹中宏子 |
親 | 父:竹中錬一(竹中家第15代当主) |
親戚 | 叔父:竹中宏平(竹中家第16代当主) |
受賞 | 日本建築学会賞文化賞[1](2016年) |
補足 | |
概要
編集竹中家第15代当主・竹中錬一の長男。竹中家17代目当主(第16代は、錬一の弟、宏平)に就任すると、33年間竹中工務店の社長を務める。後任には、竹中工務店創業以来初の創業家外部からの出身となる宮下正裕を指名し、会長兼CEOに退いた[3]。
経歴
編集- 1942年(昭和17年)12月8日 - 兵庫県神戸市生まれ。
- 1961年(昭和36年) - 甲南中学校・高等学校卒業。
- 1965年(昭和40年)
- 1968年(昭和43年)
- 1970年(昭和45年) - 企画室企画部員。
- 1973年(昭和48年) - 取締役に就任。
- 1977年(昭和52年) - 常務取締役に就任。
- 1980年(昭和55年) - 取締役社長に就任。
- 2005年(平成17年) - 大阪日米協会会長。[5]
- 2013年(平成25年) - 代表取締役会長・CEOに就任。
- 2016年(平成28年) - 日本建築学会賞文化賞受賞。[1]
- 2019年(平成31年) - 取締役名誉会長に就任。
系譜
編集竹中氏
杉山寧━━瑤子 ┃ 平岡定太郎 ┏平岡公威 ┃ ┃(三島由紀夫) ┣━━平岡梓 ┃ ┃ ┃ ┃ 永井岩之丞━━━夏子 ┣━━┫ ┃ ┃ 橋健三━━━倭文重 ┃ ┃ ┗平岡千之 ┃ 近藤三郎━━近藤晋一 ┃ ┃ ┏夏美 ┣━━━┫ ┃ ┗久美 ┏寿美 (14代) ┃ 竹中藤右衛門━━╋竹中宏平━━竹中祐二 ┃ ┃ ┗竹中錬一 ┃ ┣━━━━━┣━━━竹中統一 米内光政━━━━和子 ┏公子 (元首相) ┃ 嶋崎均 ┃ ┃ ┃ ┏築子 ┃ ┃ ┃ ┗直子 ┃ ┃ ┃ ┣━━━┫ ┃ ┃ ┏竹下登 ┃ ┃(元首相)┃ ┏竹下勇造━━━━╋竹下三郎 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗武永貞一 ┗竹下亘 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┏雅子 ┃ 福田正━━━━━┫ ┃ ┗和子 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 小沢佐重喜━━━━小沢一郎 ┃ ┗一子 ┃ 金丸信━━━金丸康信
脚注
編集- ^ a b 授賞理由『ものづくりをとおして育まれてきた日本建築文化のさらなる継承発展を目指す大工道具館の運営』
- ^ トップメッセージ|竹中工務店
- ^ ゼネコン バブル超え - 週刊東洋経済 2016年7月30日号
- ^ 役員人事に関するお知らせ (PDF, 104 KB) - 株式会社竹中工務店
- ^ 「歴代会長」大阪日米協会
外部リンク
編集- トップ・インタビュー | 竹中統一 | メセナの読み物 [リンク切れ] 公益社団法人 企業メセナ協議会
|
|
|
|
|
|
|
|
|