竹下美保
竹下 美保(たけした みほ、1971年〈昭和46年〉6月30日[2] - )は、岡山放送 (OHK) の社員。元アナウンサー。
たけした みほ 竹下 美保 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 広島県廿日市市[1] |
生年月日 | 1971年6月30日(51歳) |
最終学歴 | 徳島文理大学[1] |
勤務局 | 岡山放送 |
部署 | 報道技術局報道部長兼総合企画局コンプライアンス推進室専任部長(ビジネス開発局本社営業部担当部長)(2021年-) |
職歴 |
制作部アナウンサー (1995年 - 1998年) 報道部アナウンサー (1998年 - 2008年) 四国支社報道部記者 (2008年 - 2011年) 報道部アナウンサー (2011年 - 2013年) 社長室 企業広報担当 (2013年 - 2021年) |
活動期間 | 1995年 - 2013年 |
ジャンル | バラエティ番組・報道番組 |
配偶者 | 有り |
担当番組・活動 | |
出演経歴 |
『情報サラダ あいらぶYOU』 『OHKスーパーニュース』 『温たいむ』 |
来歴
編集広島県廿日市市[1][2]出身。中学・高校時代には放送部に在籍していた。同じ広島県出身の魚住りえとは中学・高校時代に参加していた放送コンテストで面識があり、大学への進学後に日本テレビのアナウンサー採用試験会場で再会。その際に意気投合し、交友関係を持つに至っている[3]。
大学を卒業後、1995年に岡山放送に入社。同期に同局アナウンサーの上岡元と堀靖英がいる。当初の配属先は制作部で、担当番組はバラエティ番組が中心であった[3]。
1998年に報道部へ異動し、『OHKスーパーニュース』のキャスターおよび福祉関連のコーナーリポーターを担当。同コーナーを担当するにあたって手話を学び、聴覚障害者たちの日々の活動や彼らが社会で直面する問題を取材し続ける[3]。また2008年には、元同局アナウンサーの黒住祐介がプロデュースした第17回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート番組『先生は桃太郎〜障害者野球がつなぐ夢』の制作に参加した[4]。
2008年からは香川県高松市の四国支社に勤務していたが、3年後の2011年3月に再び本社勤務となる[5]。
2013年に報道部から社長室へ異動し、岡山放送の企業広報担当者となる[6]。2018年時点では企業広報担当部長に就任していた[7]。2021年2月1日付で報道技術局報道部長兼総合企画局コンプライアンス推進室専任部長(ビジネス開発局本社営業部担当部長)に就任[8]。
人物
編集既婚であり、2人の子供がいる[9]。
担当番組
編集脚注
編集- ^ a b c NHKウィークリーステラ1998年6月19日号全国アナウンサーキャスター名鑑
- ^ a b “アナウンサープロフィール”. OHKweb. 2013年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g “平成13年度後期講習会報告書”. 岡山県総合流通センター卸協同組合青年部 (2002年3月12日). 2019年6月17日閲覧。
- ^ “第17回FNSドキュメンタリー大賞”. フジテレビ (2008年11月6日). 2019年6月17日閲覧。
- ^ a b c d “今年3月からは 本社勤務に…”. 竹下美保ブログ - allog (2011年5月10日). 2011年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月17日閲覧。
- ^ “OHK企業広報OH!”. OHKweb. 2013年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月17日閲覧。
- ^ “<ヒカリカナタ基金支援チャリティ コンサート in 岡山>”. 土田英順の ボストンバッグにチェロと酒(運営:北海道新聞) (2018年3月19日). 2019年6月17日閲覧。
- ^ 岡山放送 2021年2月1日付人事
- ^ “竹下美保ブログ - allog”. 岡山放送. 2012年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月18日閲覧。
- ^ “OH!元気印”. OHK web. 2019年6月17日閲覧。