競技場バザー
競技場バザー(きょうぎじょうバザー、原題:The Field Bazaar)は、アーサー・コナン・ドイルが、母校エディンバラ大学の交友誌『ザ・ステューデント』1896年バザー増刊号に掲載した短編小説。後述の北原訳では、『
競技場バザー | |
---|---|
著者 | コナン・ドイル |
発表年 | 1896年 |
出典 | ザ・ステューデント |
発生年 | 不明 |
事件 | ワトスンへの手紙をホームズが推測 |
あらすじ
編集朝食を食べながら物思いに耽っていたワトスンへ、突然シャーロック・ホームズから「僕ならきっとそうするね」と声が掛けられる。驚くワトスンへ、ホームズは彼が大学のクリケット競技場拡張のために、母校エディンバラ大学[注 1]のバザーへの協力を頼まれたと言い当て、自分の推理の端緒を語る。
ワトスンのもとへ届いたばかりの封筒には、彼のコレッジ時代の帽子と同じ模様が付いていた。手紙には「
更にホームズが、ワトスンがクラブ誌に寄稿を求められたこと、今回の推理がよい題材になると考えたことを言い当て、結びとなる。
背景・位置づけ
編集この作品は、ドイルの母校エディンバラ大学の交友誌『ザ・ステューデント』の1896年バザー増刊号(11月20日号)に掲載された[1]。大学の競技場拡張を行う資金集めのためにバザーが開催されたという筋書きは、実際の出来事を物語に反映させたものである。エディンバラ大学の競技場観客席が増設されることになり、資金集めのバザーに合わせて発行された増刊号に、ドイルが寄稿したのである[2]。
ホームズが1893年に『最後の事件』で「葬られて」から3年後に発表された。また、正式なホームズシリーズ作品の続編『バスカヴィル家の犬』(1901年発表)に先行して発表されている。このため、非常な短編で、なおかつ交友誌というかなりマイナーな媒体への掲載だったが、当時は「ホームズシリーズの続編」として話題になったという[2]。
ワトスンの出身校は、『緋色の研究』時点ではロンドン大学とされているものの[3]、この作品ではエディンバラ大学とされており、シャーロキアンの頭を悩ませている。この作品は先述の通り、ドイルの母校エディンバラ大学の競技場拡張に伴って執筆されているため、ドイル自身によるミスという可能性もある[注 2]。またホームズはワトスンに対して、「君は医学士だから、『
文中、ワトスンは大学のクリケットチームに在籍していたとされるが、『サセックスの吸血鬼』でラガーマンだったことが語られる[注 4]ため、ここにも齟齬が発生している。『サセックスの吸血鬼』は1924年に発表され、最終の第5短編集「シャーロック・ホームズの事件簿」に収録された作品である。
ホームズの言う通り、クレモナはアマティ・グァルネリを始めとしたヴァイオリンの名産地である。正典『ボール箱』では、ホームズが、これらと並ぶクレモナの3大ヴァイオリン工房の1つストラディヴァリウス製のヴァイオリンを持っていると語られている[5]。
2014年にBBCが放送したドラマ『SHERLOCK』シーズン3では、第2話『三の兆候』で、「花嫁はブライズメイドをぱっとしない人にしたがる」として、この作品の一節にオマージュをかけた台詞がある[注 5]。
書誌情報
編集- 原文
- Arthur Conan Doyle (英語), The Field Bazaar, ウィキソースより閲覧。
- 訳本
- 北原尚彦・西崎憲 編『ドイル傑作選Ⅰミステリー篇』翔泳社、1999年12月5日。ISBN 9784881357385。 NCID BA4540366X。OCLC 675697763。全国書誌番号:20020619。[7]
- 訳題『
競技場 ()バザー』、訳者:北原尚彦
- 訳題『
- 北原尚彦・西崎憲 編『まだらの紐』東京創元社〈ドイル傑作集 1〉、2004年7月23日。ISBN 4-488-10110-0。 NCID BA81974019。OCLC 674684106。全国書誌番号:20644195。[8]
- アーサー・コナン・ドイル「競技場バザー」『小説新潮』2014年5月号、新潮社、2014年4月22日、JAN 4910047010541、ASIN B00JDPMG3M。[10][11]
- 訳題『競技場バザー』、訳者:日暮雅通
脚注
編集注釈
編集- ^ a b c この記載は正典ホームズシリーズと食い違っている。この齟齬については後述。
- ^ 他にも、ワトスンが戦場で銃弾を受けた位置が、『緋色の研究』では肩、『四つの署名』では脚とされている[4]など、設定の齟齬はホームズシリーズのそこかしこに見られる。
- ^ 一般に「医学士」は大学の医学系学部を卒業した人に授与される学位であるが、一方の医学博士は大学院で専門課程を修了したものに与えられる学位である。なおこの作品が書かれたのはヴィクトリア朝の英国であり、"M.D."と言えば医師免許保持者を指すアメリカ式とは制度が異なっている (Doctor of Medicine#UK, Ireland and some Commonwealth countries) 。ドイル自身も学位を取得しており、ナイト爵に叙されるまでは「ドクター」を正式な肩書きとして用いていた。
- ^ 依頼人が手紙の中で、かつてスリー・クォーターとして、ワトスンのチームと戦ったことを言い添えてくる。
- ^ 概訳すると、「僕の名声も全て君のおかげだが、それは社交界にデビューする若い女性が付き添い役(シャペロン)を不器量にしたがるのと同じだ」となる[6]。ドラマではこのホームズの言葉にオマージュがかけられている。
出典
編集- ^ アーサー・コナン・ドイル (2004, p. 347)
- ^ a b アーサー・コナン・ドイル (2004, p. 343)
- ^ a b Arthur Conan Doyle, “Part 1/Chapter 1” (英語), A Study in Scarlet, ウィキソースより閲覧, "In the year 1878 I took my degree of Doctor of Medicine of the University of London, [後略]"
- ^ 水野雅士. “8. ワトスンの負傷”. シャーロッキアンの果てしなき冒険. 2016年4月11日閲覧。
- ^ Arthur Conan Doyle (英語), The Adventure of the Cardboard Box, ウィキソースより閲覧, "We had a pleasant little meal together, during which Holmes would talk about nothing but violins, narrating with great exultation how he had purchased his own Stradivarius, which was worth at least five hundred guineas, at a Jew broker’s in Tottenham Court Road for fifty-five shillings."
- ^ Arthur Conan Doyle (英語), The Field Bazaar, ウィキソースより閲覧, "You will not, I am sure, be offended if I say that any reputation for sharpness which I may possess has been entirely gained by the admirable foil which you have made for me. Have I not heard of debutantes who have insisted upon plainness in their chaperones? There is a certain analogy."
- ^ “まだらの紐 - アーサー・コナン・ドイル/北原尚彦/西崎憲 編”. 翔泳社. 2016年4月9日閲覧。
- ^ “まだらの紐 - アーサー・コナン・ドイル/北原尚彦/西崎憲 編”. 創元推理文庫. 2016年4月9日閲覧。
- ^ アーサー・コナン・ドイル (2004, p. 348)
- ^ “バックナンバー - 小説新潮 - 2014年5月号”. 新潮社. 2016年4月11日閲覧。
- ^ “小説新潮 2014年5月号 雑誌”. オンライン書店e-hon. 2016年4月11日閲覧。