立田清辰
日本の内務・警察官僚
立田 清辰(たつた きよとき[1] / きよたつ[2]、1890年(明治23年)8月7日[3] - 1942年(昭和17年)7月28日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。
経歴
編集岐阜県吉城郡出身[1]。第七高等学校造士館を卒業。1916年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、逓信省に入省。1918年10月、高等試験行政科試験に合格。1919年、内務省に転じ鳥取県属となる[1][4]。
1919年、香川県警察部刑務課長に就任。以後、神奈川県警視、内務事務官、徳島県書記官・警察部長、茨城県書記官・警察部長、熊本県書記官・警察部長などを歴任。1929年、朝鮮総督府に転じ同事務官・警務局図書課長、同保安課長を務める。1933年、山梨県内務部長に転じ[1]、1935年1月、宮城県書記官・総務部長に就任[5]。
1936年4月、鳥取県知事に就任。前任知事の方針を基本的に踏襲し、従来の事業を見直した財源により、県立盲唖学校の創設、水産試験船建造、鳥取県振興会の設置などを実施した[6]。1939年1月、千葉県知事に転任。戦時体制の確立などに尽力。1941年5月に知事を退任し、同年に退官[1][4]。その後、住宅営団理事となった[1]。
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[7]
脚注
編集参考文献
編集- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。