窮理図解
『窮理図解』(きゅうりずかい)は、福澤諭吉の著書のひとつ。正式名称は、『訓蒙 窮理圖解』(きんもう きゅうりずかい)。1868年(明治元年)の初秋に、慶應義塾から和装の3巻本として出版された。1861年から1867年にかけてイギリスとアメリカで出版された物理書、博物書、地理書を参考にして、日常の身近な自然現象を平易に図解した書物である。日本で最初の科学入門書とされる。
窮理図解 (きゅうりずかい) 訓蒙 窮理圖解 (きんもう きゅうりずかい) | ||
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著者 | 福澤諭吉 | |
発行日 | 1868年(明治元年)の初秋[1] | |
発行元 | 慶應義塾 | |
ジャンル | 科学書 | |
国 | 日本 | |
言語 | 日本語 | |
形態 | 和装本(木版小型3冊本、合綴1冊本)[1]。 | |
ページ数 |
巻の一は、序2丁、凡例1丁、目録2丁、本文18丁。 巻の二は本文22丁。 巻の三は本文18丁[1]。 | |
公式サイト |
dcollections | |
コード | ISBN 978-4-7664-0878-2 | |
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訓蒙とは子供や初心者に教え諭すという意味であり[2]、窮理学とは、当時の言葉で広義の物理学のことをさす[3]。1872年(明治5年)に発布され施行された学制から、「窮理」という言葉が使われなくなり、代わりに「物理」という言葉が使用されるようになった。さらに、本書は小学校の教科書として使用されるようにもなった。
成立
編集福澤は1867年(慶応3年)に幕府の軍艦受取委員の小野友五郎の随員として二度目のアメリカ合衆国への渡航をはたした。この際、大量の書物を購入し、その中に、『英版チャンブル窮理書』(Chamber's educational cource, Natural Philosophy, for use in schools, and for private instruction, London & Edinburgh)や『米版クワッケンボス窮理書』(G.P.Quackenbos, A Natural Philosophy, New York)等の7冊の物理学、博物学、地理学の書物が含まれていた。これらの書物から適当な部分を選択して翻訳し、西洋の事物を日本の事物に置き換えて翻案することにより本書は成立した[注釈 1]。
概要
編集以下、『福澤諭吉著作集 第2巻 世界国尽 窮理図解』 慶應義塾大学出版会、2002年からの引用を含む。
序文
編集最初に、西洋人の説として、何事においても(特に科学技術において)その原理原則を知らないで単に結果を受取るだけでは「馬の
凡例
編集本書は洋書の翻訳でありながら、翻訳調ではなく分かりやすい日常語を使用して、図を多用し、子供や女性にも理解しやすいように配慮されている。そのため小学校の教科書にも使用されることとなった。最後に翻訳の原書を7冊あげて読者の参考としている。
巻の一
編集第一章
編集第一章では「温気」(温度と熱)のことを解説する。「温気」の源として第一に「日輪」(太陽)をあげて、ガラスのレンズで太陽の光を集めて物を焼く実験を解説する。続けて、第二には物の調合(化学反応)、第三には摩擦熱や火打ち石のことを、第四には「えれきとる」のことを落雷を例をあげて説明する。最期に温度計のことを図示して解説する。水が沸騰すると華氏212度になり、氷だと華氏32度になり、氷を粉にして塩をまぜると華氏0度になると解説する。
第二章
編集第二章では「空気」のことを解説する。水鉄砲を例にあげて空気の作用と水鉄砲の原理を解説する。さらに続けて、ポンプや「晴雨器」(気圧計)のことも説明する。
また、第二章の終りで、「
巻の二
編集第三章
編集第三章では「水」のことを解説する。水の性質としてサイフォンの原理を説明し、水道や吹き出し井戸のことを解説する。最期に、山から噴き出している湧水が半年だけ涸れるのはなぜかを図示して説明する。
第四章
編集第四章では「風」のことを解説する。「廻灯籠」(まわりどうろう)を例にあげて、熱せられた空気は軽くなって上に昇ることを説明する。それから、説明は地球規模に拡大し、季節風のメカニズムも同じ原理で起ることを説明する。最期に、なぜ昼は海から陸に向って風が吹き、夜は逆に陸から海に向って風が吹くのかを解説する。
第五章
編集第五章では「雲と雨」のことを解説する。洗濯物を干す図をあげて、なぜ物が乾くのか疑問を投げかけ、「蒸発気」(水蒸気)のことを説明する。さらに、蒸発気が冷えれば雲や霧の形に変ることを解説する。この原理を使って「蒸露缶」(酒などを蒸留する装置)の仕組みを図示して説明する。
ここから、「右は
第六章
編集第六章では「雹、雪、露、霜、氷」のことを解説する。まず、空中の水蒸気が冷えて露になることを述べて、晴れた夜は地面が冷えるから露ができやすく、曇りの夜は逆にできにくいことを説明する。さらに、夜の冷気が激しくなり温度が華氏32度より下がると、露が霜になることを述べる。また、雲が雨になるときに温度が華氏32度より下がると、水蒸気が凝結して雪になり、雨が凝結すると雹や霰になることを説明する。最期に、水が氷になると容積が増えるため、氷は水に浮かぶことを説明する。
巻の三
編集第七章
編集第七章では「引力」のことを解説する。最初に、「物は物と
次に、遠心力と求心力のことを解説し、なぜ地球が太陽のまわりを廻るのか図を使って説明する。さらに、宇宙に目を向けて、「
次に、一転して極微の世界に目を向けて、顕微鏡を図示する。その顕微鏡で一滴の池の水の中にも幾千の虫がいることを指摘して、「その虫の細なること、一百万の数を集るとも
最後に、地震、雷、虹、彗星などに関しては、ほぼ同じ時期に出版された小幡篤次郎の『天変地異』を参照するように述べて締めくくる。
第八章
編集第八章では「昼夜」のことを解説する。西暦1606年にガリレオが地動説を提唱して、地球が動くことが一般に広まったことを述べる。さらに、地球の形が毬や「橙実」(ダイダイ)のように丸いことを述べて、地球の大きさを示す。そして、地球が丸いことから太陽に照らされている面が昼となり、照らされていない面が夜になることを解説する。さらに、西に行けば行くほど日の暮れるのも遅くなることを具体的に、江戸、北京、ロンドンの時差を計算して解説する。
第九章
編集第九章では「四季」のことを解説する。「日輪」(太陽)も丸い形をした火の玉であることを述べて、地球の公転を独楽が行燈の廻りを廻ることに喩えて解説する。公転により「三百六十五日と二時半余」で一周して一年になることを述べる。そして、四季の起る原因として、地球の太陽に向う面が垂直の時は夏で、斜めになるときは冬になることを述べる。
第十章
編集第十章では「日食と月食」のことを解説する。月は地球の衛星で、地球の廻りを廻っていることを図示し、自分では光らないで「日輪」の光を反射して光っていることを述べる。さらに、月が地球の廻りを廻るにつれて、新月から三日月、半月、満月となり、また続けて廻るにつれて逆に、満月から半月、三日月、新月と戻ることを図示して解説する。
次に、月が「日輪」と地球の間に入る時に日蝕が起り、地球が月と「日輪」の間に入る時に月蝕が起ることを解説する。さらに、「日輪」と月の大きさや地球からの距離を述べて、「世界より日輪へ蒸気車の
その他
編集明治の初めに、本書がさきがけとなって窮理熱といわれる科学入門書のブームが起きた[5]。このこともあり、版はいくつか出ており、初版が1868年(明治元年)、再版が1871年(明治4年)6月、第三版が1873年(明治6年)6月に出版された[6]。仮名垣魯文は福澤の『窮理図解』をもじった『河童相伝 胡瓜遣』(かっぱそうでん きゅうりずかい)(1872年)という滑稽本を発表している。
脚注
編集注釈
編集- ^ 福澤は『福澤全集緒言』において『窮理図解』について以下のように説明をしている。
窮理図解
開国 ()の初 ()に当 ()り、吾々 ()洋学者流 ()の本願 ()は、兎 ()も角 ()も国中 ()多数 ()の人民 ()を真実 ()の開国主義 ()に引入 ()れんとするの一事にして、恰 ()も西洋文明 ()の為 ()めに東道 ()の主人 ()と為 ()り、一面には漢学 ()の固陋 ()を排斥 ()すると同時 ()に、一面には洋学 ()の実利益 ()を明 ()にせんことを謀 ()り、あらん限りの方便 ()を運 ()らすその中にも、凡 ()そ人に語 ()るに物理 ()の原則 ()を以 ()てして自 ()から悟 ()らしむるより有力 ()なるはなし。少年子弟 ()又は老成 ()の輩 ()にても、一度び物理書 ()を読 ()み或 ()はその説 ()を聴聞 ()して心の底 ()より之 ()を信 ()ずるときは、全然 ()西洋流 ()の人と為 ()りて漢学 ()の旧 ()に復帰 ()したるの事例 ()殆 ()んど絶無 ()なるが如 ()し。吾々 ()実験 ()の示す処なれば、広く民間 ()を相手 ()にして之を導 ()くの第一着手 ()は物理学 ()に在りと決定 ()はしたれども、無数 ()の国民 ()に原書 ()を読 ()ましむるが如 ()き固 ()より思いも寄 ()らぬことにして、差向 ()きの必要 ()は唯 ()飜訳書 ()を示すの一法 ()あるのみ。然 ()るに開国以前 ()既 ()に飜訳 ()版行 ()の物理書 ()なきに非 ()ざれども、多くは上流学者社会 ()の需 ()に応 ()ずるものにして、その文章 ()の正雅高尚 ()なると共に難字 ()も亦 ()少なからず、且 ()つ飜訳 ()の体裁 ()専 ()ら原書 ()の原字 ()を誤 ()るなからんことに注意 ()したるが為 ()めに、我国俗間 ()の耳目 ()に解 ()し難 ()きものあり。例 ()えば、物の柔軟 ()なるを表 ()するに恰 ()もボートル(英語バタ)に似 ()たりと直 ()に原字 ()のまゝに飜訳 ()するが如 ()き、訳 ()し得て真 ()を誤 ()らざれども、生来 ()ボートルの何物 ()たるを知らざる日本人は之 ()を見て解 ()するを得ず。依 ()て余はその原字 ()を無頓着 ()に附 ()し去り、ボートルと記 ()すべき処 ()に味噌 ()の文字 ()を用うることに立案 ()して、凡 ()そこの趣向 ()に従い、啻 ()に二、三の原字 ()のみならず、全体 ()の原文 ()如何 ()を問わず、種々様々 ()の物理書 ()を集 ()めてその中より通俗教育 ()の為 ()めに必要 ()なりと認 ()るものを抜抄 ()し、原字原文 ()を余処 ()にして唯 ()その本意 ()のみを取り、恰 ()も国民初学入門 ()の為めに新作 ()したる物理書 ()は窮理図解 ()の三冊なり。 — 福澤諭吉、『福澤全集緒言』、73-75頁[4]。
出典
編集- ^ a b c “デジタルで読む福澤諭吉 訓蒙窮理圖解. 上”. 慶應義塾大学メディアセンター. 2017年8月28日閲覧。
- ^ “訓蒙 とは”. コトバンク. 2011年7月16日閲覧。
- ^ “窮理学 とは”. コトバンク. 2011年7月16日閲覧。
- ^ 『福澤全集緒言』、73-75頁
- ^ 伊藤博「教育史から見た幕末期から明治初期の教育」『大手前大学論集』第12号、大手前大学、2011年、17-32頁、ISSN 1882-644X、NAID 110009396076。
- ^ “訓蒙窮理圖解. 上”. 慶應義塾大学図書館. 2011年7月16日閲覧。
書誌情報
編集- 福澤諭吉 纂輯『訓蒙窮理圖解』(初版)慶應義塾、1868年8月 。 - 初版木版小型3冊本。
- 福澤諭吉「訓蒙窮理圖解」『福澤全集』 第2巻、時事新報社、1898年2月5日。NDLJP:898728/34。
- 福澤諭吉 著「訓蒙窮理圖解」、石河幹明 編『福澤全集』 第2巻、國民圖書、1926年5月31日、251-311頁。NDLJP:979052/154。
- 福澤諭吉 著「訓蒙窮理圖解」、富田正文、土橋俊一 編『福澤諭吉全集』 第2巻(再版)、岩波書店、1969年11月13日(原著1959年2月1日)、233-279頁。
- 福沢諭吉「訓蒙 窮理図解」『福沢諭吉選集』 第2巻、芳賀徹 解説、岩波書店、1981年2月25日、49-92頁。ISBN 4-00-100672-3。
- 福澤諭吉「訓蒙 窮理図解」『福澤諭吉著作集』 第2巻 世界国尽 窮理図解、中川眞弥 解説、慶應義塾大学出版会、2002年3月15日、1-62頁。ISBN 978-4-7664-0878-2 。
参考文献
編集- 板倉聖宣、伊藤篤子 著訳『日本はじめての科学読物』国土社〈少年少女科学名著全集 30〉、1982年4月。ISBN 4-337-04130-3。 - 『窮理図解』の現代語訳「やさしい物理図解」を収録。
- 桜井邦朋『福沢諭吉の「科學のススメ」――日本で最初の科学入門書「訓蒙 窮理図解」を読む』祥伝社〈Non select〉、2005年3月15日。ISBN 4-396-50085-8 。 - 『窮理図解』の現代語訳と解説を収録。