穆宗 (遼)
穆宗(ぼくそう、931年9月19日-969年3月12日)は、遼の第4代皇帝。諱は述律。太宗耶律堯骨の長男。史書によれば、性格は非常に残忍で拷問を好んだとある。
穆宗 耶律述律 | |
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遼 | |
第4代皇帝 | |
王朝 | 遼 |
在位期間 |
天禄5年9月8日 - 応暦19年2月22日 (951年10月11日 - 969年3月12日) |
都城 | 上京臨潢府 |
姓・諱 |
耶律述律 劉璟→劉明(漢名) |
諡号 |
天順皇帝 孝安敬正皇帝 |
廟号 | 穆宗 |
生年 |
天顕6年8月5日[1] (931年9月19日) |
没年 |
応暦19年2月22日 (969年3月12日) |
父 | 太宗 |
母 | 靖安蕭皇后 |
陵墓 | 懐陵 |
年号 | 応暦 : 951年 - 969年 |
生涯
編集天禄5年(951年)、第3代皇帝であった従兄の世宗が暗殺されると、新たに皇帝として即位した。しかし即位後は奢侈に走って政治を顧みず、重臣も権力争いからそれぞれの派閥に分裂、遼は次第に衰退の兆しを見せ始めた。このため応暦15年(964年)に満洲北部で遼に対する大規模な反乱が起こったが、応暦16年(966年)には反乱を鎮圧している。
応暦19年(969年)、王朝内の混乱から側近により暗殺された。享年39。