稲葉方通
安土桃山時代から江戸時代初期の武将
稲葉 方通(いなば まさみち)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代 |
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生誕 | 永禄9年(1566年) |
死没 | 寛永17年10月1日(1640年11月14日) |
官位 | 右近大夫 |
主君 | 織田信長→豊臣秀吉→徳川家康→義直 |
氏族 | 稲葉氏 |
父母 | 父:稲葉良通 |
兄弟 |
堀池半之丞室、国枝重元室、重通、貞通、 方通、直政、稲葉安(斎藤利三室)、丸毛兼利室、山村良勝室 |
概要
編集永禄9年(1566年)、西美濃三人衆の1人である稲葉良通(一鉄)の四男として生まれる。はじめ織田信長に仕え、美濃国西保城主に任じられた。信長の死後は羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え、九州平定や小田原征伐に参加し、天正18年(1590年)に美濃和知城に移されて4450石の所領を与えられた。
秀吉の死後は徳川家康に仕え、大坂の陣にも参加した。後に尾張藩主・徳川義直に仕え、美濃金山に所領を移された。寛永17年(1640年)10月1日に死去。享年75。