稲田 千賢(いなだ ちかし、1977年9月30日 - )は、日本男性プロボクサー。元OPBF東洋太平洋ライト級チャンピオン。広島県三次市出身。帝拳ジム所属。広陵高等学校卒業、法政大学法学部法律学科中退。

稲田 千賢
基本情報
本名 稲田 千賢
階級 ライト級
身長 177cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1977-09-30) 1977年9月30日(47歳)
出身地 広島県三次市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 22
勝ち 19
KO勝ち 14
敗け 3
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来歴

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アマチュアボクシングは80勝12敗。1998年かながわ・ゆめ国体ライト級優勝を果たした。

2000年3月18日、アマチュアエリートとして6回戦からデビューし5RTKOと勝利。その後15連勝。

2004年3月20日嶋田雄大の持つ日本ライト級王座に挑戦。10R判定まで縺れるも、判定負け。10月2日OPBF東洋太平洋ライト級王座デニス・ローレンテ(フィリピン)に挑戦。これも12R判定で敗れる。

2005年3月5日、1戦1勝後再度デニス・ローレンテに挑み、12R判定で勝利しタイトル奪取。

2006年3月29日、2度防衛したタイトルを返上。

2006年5月20日WBC世界ライト級暫定王座を賭け、ロサンゼルスホセ・アルマンド・サンタクルスメキシコ)と対戦[1]WOWOW開局15周年記念エキサイトマッチとして放送された。鼻血および左目尻を切り顔面血まみれになり、6RTKOを宣言され敗れる。

戦績

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  • アマチュアボクシング - 95戦80勝(20KO/RSC)15敗
  • プロボクシング - 22戦19勝(14KO)3敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2000年3月18日 5R TKO キム・トゥソン   韓国 プロデビュー戦
2 2000年6月3日 2R TKO チョ・カンイル   韓国
3 2000年8月20日 1R KO 桑原高博(小倉高橋)   日本
4 2000年11月5日 8R TKO 早川広将(協栄)   日本
5 2001年5月6日 4R 判定 3-0 トーランス・ブラウン   アメリカ合衆国
6 2001年7月20日 6R 判定3-0 アドリアーノ・ドス・サントス   ブラジル
7 2001年12月6日 6R TKO コ・ヨンソク   韓国
8 2002年2月16日 3R TKO チャン・テプン   韓国
9 2002年5月18日 7R TKO パク・サンソン   韓国
10 2002年8月3日 10R 判定3-0 フリオ・ガメス   メキシコ
11 2002年11月1日 5R TKO レオバルド・ローマン   メキシコ
12 2003年1月18日 10R 判定3-0 アルマンド・エルナンデス   メキシコ
13 2003年8月15日 3R TKO ホセ・ルイス・モンテス   メキシコ
14 2003年9月12日 2R TKO サンドロ・マルコス   メキシコ
15 2003年12月8日 8R TKO 麓健介(横浜光)   日本
16 2004年3月20日 10R 判定0-2 嶋田雄大(ヨネクラ)   日本 日本ライト級タイトルマッチ
17 2004年10月2日 12R 判定0-2 デニス・ローレンテ   フィリピン OPBF東洋太平洋ライト級タイトルマッチ
18 2004年12月3日 3R TKO エベルト・モレノ   コロンビア
19 2005年3月5日 12R 判定2-1 デニス・ローレンテ   フィリピン OPBF東洋太平洋ライト級タイトルマッチ
20 2005年7月2日 8R TKO パク・ソンウ   韓国 OPBF防衛1
21 2005年11月5日 4R TKO イ・ヨンボム   韓国 OPBF防衛2
22 2006年5月20日 6R TKO ホセ・アルマンド・サンタクルス   メキシコ WBC世界ライト級暫定王座決定戦
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脚注

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  1. ^ 当初相手はシリモンコン・シンワンチャータイ)の予定が病気(B型肝炎)のため変わった。正規王者ディエゴ・コラレスホセ・ルイス・カスティージョとのラバーマッチを優先したために行われた。

関連項目

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外部リンク

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前王者
デニス・ローレンテ
第39代OPBF東洋太平洋ライト級王者

2005年3月5日 - 2006年3月29日(返上)

空位
次タイトル獲得者
ランディ・スイコ