稲玉貞雄
稲玉 貞雄(いなだま さだお、1914年(大正3年)6月23日[1] - 1989年(平成元年)4月17日[1])は、昭和時代の政治家。長野県更埴市長。
稲玉貞雄 いなだま さだお | |
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生年月日 | 1914年6月23日 |
出生地 |
日本 長野県埴科郡森村 (現長野県千曲市) |
没年月日 | 1989年4月17日(74歳没) |
出身校 |
長野県屋代中学校卒業 (現長野県屋代高等学校・附属中学校) |
前職 | 更埴市助役 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1979年3月28日 - 1989年2月25日 |
経歴
編集長野県埴科郡森村(現・千曲市)生まれ[1]。1932年(昭和7年)長野県屋代中学校卒業[1]。
南満洲鉄道教習所から満鉄に入り、旅順駅助役[2]となる。引き揚げ後の1947年(昭和22年)森村役場に入り[1][2]。1959年(昭和34年)更埴市土木課長、1963年(昭和38年)総務課長、1967年(昭和42年)収入役[2]、1974年(昭和49年)助役を経て[2]、1978年(昭和53年)更埴市長に当選[1][2]。1989年(平成元年)病気により引退した[3]。この間、時代の変化に対応した行政改革を行った[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 日外アソシエーツ 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。