稲沢機関区
歴史
編集官営鉄道
編集- 1925年(大正14年)1月16日:稲沢操車場として開業。
- 1931年(昭和6年)1月31日:稲沢機関庫は稲沢操車場と連携し東海道本線及び中央西線、関西本線の貨物を中心に扱う大型庫として機能を果たす。配置されている蒸気機関車は、C50形・9600形・D50形・2120形・2400形(使用休止車を除く)。
- 1936年(昭和11年)9月1日:全国一斉の官制変更により稲沢機関庫が稲沢機関区と改称される。この時期の配置は1000形・1150形・2120形・2400形・6250形・6760形・C50形・8620形・9600形・D50形・D51形・DB10形。
- 1944年(昭和19年)1月31日:戦時体制下、軍事貨物輸送の一大拠点として名古屋鉄道局最大となる機関車80輌を抱える。
- 1953年(昭和28年)11月5日:東海道本線稲沢電化により稲沢機関区から稲沢第二機関区(東海道本線担当の電気機関車及びその乗務員)が分離、稲沢区は稲沢第一機関区(東海道本線、中央西線、関西本線及び周辺入換担当の蒸気機関車及びその乗務員)と改称。
- 1955年(昭和30年)6月17日:第二区にEH10形新製配置。
- 1965年(昭和40年)1月26日:第二区にEF65形新製配置。
- 1968年(昭和43年)9月16日:第二区にEF64形福島第二機関区より転入及び新製配置。
- 1970年(昭和45年)7月21日:第一区にDE50形新製配置。
- 1971年(昭和46年)3月31日:第一区の蒸気機関車(9600形、D51形、C50形)の運用終了、無煙化。これ以降第一区はディーゼル機関車とその乗務員の担当となる。
- 1975年(昭和50年)8月20日:第一区にDE11形1901号機新製配置。
- 1982年(昭和57年)10月1日:稲沢機関区岐阜支区を廃止[1]。
- 1985年(昭和60年)3月:第一区と第二区を統合し、稲沢機関区へ改称[2]。
- 1986年(昭和61年)11月:名古屋客貨車区の貨車関係の業務の一部を移管し、稲沢貨車区が発足[2]。
国鉄民営化後
編集乗務範囲
編集脚注
編集- ^ 『復刻版国鉄電車編成表』1986.11ダイヤ改正、ジェー・アール・アール 、交通新聞社、p.247、ISBN 9784330106090
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』通巻598号、p.22
- ^ a b 『JR気動車客車編成表』'02年版、ジェー・アールアール、2002年、p.230、ISBN 4-88283-123-6
- ^ 『運転協会誌』2008年11月号、稲沢機関区における乗務員指導の取り組み、2008年、p.5
参考文献
編集- 鶴通孝「愛知機関区に注目」『鉄道ジャーナル』第598号、鉄道ジャーナル社、2016年8月、18 - 31頁。