秋田 倩季(あきた よしすえ)は、陸奥国三春藩の第7代藩主。秋田家第9代当主。第5代主・秋田延季の次男。

 
秋田倩季
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦元年(1751年
死没 文化10年8月10日1813年9月4日
改名 乙之助(幼名)→千季(初名)→倩季→英翁
戒名 建徳院殿古極体仁大居士
墓所 福島県田村郡三春町荒町の高乾院
官位 従五位下、山城
幕府 江戸幕府
陸奥三春藩
氏族 秋田氏
父母 父:秋田延季
兄弟 延季季高安東季保岩瀬氏紀季周細川昌元京極高中正室、永井直視正室のち井戸弘雄
正室:松平信礼の娘)
継室:青山幸道の娘
長季(次男)、孝季(三男)、娘(加藤恭尹室)、娘(牧野成美正室)
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倩季が生まれた年に父・延季は隠居し、叔父の定季家督を継いでいた。宝暦7年(1757年)6月13日、定季の養嗣子となる。同年8月7日、養父定季の死去により、跡を継いだ。幼少のため実父延季が後見した。明和4年(1767年)7月28日、将軍徳川家治にお目見えした。同年12月16日、従五位下信濃守に叙任する。後に山城守に改める。

天明4年(1784年)3月16日、飢饉による領民の救済費用として、幕府から2000両を貸し与えられる。そのため、出仕をとどめられる。天明5年6月8日、居城の火災により、幕府から3000両を貸し与えられる。

寛政9年(1797年)7月20日、隠居し、家督を次男の長季に譲った。隠居後は英翁と称した。文化10年(1813年)に死去。享年63。

系譜

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父母

正室、継室

側室

  • 平尾氏

子女