秋田中央交通線
秋田中央交通線(あきたちゅうおうこうつうせん)は、かつて秋田中央交通が運営していた、秋田県南秋田郡八郎潟町の八郎潟駅と同郡五城目町の五城目駅とを結んでいた鉄道路線。
秋田中央交通軌道線 | |||
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概要 | |||
現況 | 廃止 | ||
起終点 |
起点:八郎潟駅 終点:五城目駅 | ||
駅数 | 4駅 | ||
運営 | |||
開業 | 1922年4月21日 | ||
廃止 | 1969年7月11日 | ||
所有者 | 五城目軌道→秋田中央交通 | ||
使用車両 | 車両の節を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線総延長 | 3.8 km (2.4 mi) | ||
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) | ||
最小曲線半径 | 100 m (330 ft) | ||
電化 | 直流600 V 架空電車線方式 | ||
最急勾配 | 6.6 ‰ | ||
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停車場・施設・接続路線(廃止当時) | ||||||||||||||||||||||||||||||
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僅か3.8kmと短い路線だった。一時は五城目から上小阿仁村、鷹巣町(現北秋田市)方面へ抜ける路線網を延伸する構想もあったものの実現には至らず、1969年(昭和44年)夏に全線が廃止された。 代替輸送として、同社が路線バスを運行している。
当線を走った電気機関車と客車は長らく五城目小学校のグラウンドに展示されていたが、老朽化が激しく2003年に廃棄処分となった。
路線データ
編集歴史
編集- 1919年(大正8年)10月 - 一日市駅 - 五城目駅間を軽便鉄道法による免許申請
- 時期不詳 - 却下されたため軌道条例による出願に改める
- 1920年(大正9年)8月13日 - 軌道特許状下付(南秋田郡一日市村 - 同郡五城目町間 動力瓦斯)[1]
- 1921年(大正10年)1月15日 - 五城目軌道設立[2][3]
- 1922年(大正11年)4月21日 - 五城目駅 - 東五城目駅間 (3.8km) 開業[3]
- 1926年(大正15年)11月1日 - 五城目駅を一日市(ひといち)駅に改称
- 1927年(昭和2年)1月1日 - 東五城目駅を五城目駅に改称
- 1943年(昭和18年)6月26日 - 秋田市・南秋田郡の鉄道・バス事業者統合の存続会社となり秋田中央交通に改称
- 1950年(昭和25年)1月20日 - 全線電化
- 1965年(昭和40年)6月1日 - 一日市駅を八郎潟駅に改称
- 1969年(昭和44年)7月11日 - 八郎潟駅 - 五城目駅間3.8km全線廃止
駅一覧
編集事業者名・所在地の自治体名等は廃止時点のもの。全駅秋田県に所在。
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
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八郎潟駅 | 0.0 | 日本国有鉄道:奥羽本線 | 南秋田郡八郎潟町 | |
川崎駅 | 1.9 | |||
高校前駅 | 2.9 | 南秋田郡五城目町 | ||
五城目駅 | 3.8 |
車両
編集開業時に用意された車両はガソリン機関車2両、客車2両、貨車4両。ガソリン機関車は同年に開業した仙台軌道(仙台鉄道)と同じアメリカミルウォーキー社製で、一般営業した鉄軌道では最も早いガソリン機関車導入とされる[4]。ただ非力な上に脱線も多かったため、1925年から蒸気機関車が導入され置き換えられた[5]。客車は、開業時に用意された木造小型ボギー車(定員32名)のハフ1・2と1939年に松島電車から譲渡された木造4輪単車のハ1・2が在籍していた。
戦後は石炭費の高騰に苦しめられ、新潟鉄道局の指導もあって電化される事になった。その際には南海電鉄から元国鉄の電気機関車ED40 1(出力230kW)を購入したが、出力が大きすぎて変電所の回転変流器100kW2台では電力不足であり、重量も44tと重すぎたため使用に堪えず、5年ほどで廃車された。1951年には東急電鉄から電動貨車(デワ3002[6])を購入、後に2両(デワ3001・3003)増備し、これが主力となった[7]。1967年には越後交通長岡線からEB110形EB111を購入するもわずか2年で路線が廃止となった。
なお電化後も電車は導入されず、電気機関車や電動貨車が客車を牽引する方式が採られた。デワ3000形と同時期にナハフ10形客車2輌(国鉄キハ41000形の改造)が導入され、廃線まで主力として使用された。
輸送・収支実績
編集年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
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1922 | 52,336 | 2,510 | 13,796 | 13,388 | 408 | |||
1923 | 51,636 | 2,278 | 27,292 | 18,850 | 8,442 | 償却金500 | 2,356 | |
1924 | 83,384 | 3,211 | 27,049 | 22,885 | 4,164 | |||
1925 | 78,703 | 2,330 | 25,030 | 22,010 | 3,020 | |||
1926 | 85,316 | 4,627 | 27,344 | 20,474 | 6,870 | 償却金6,000 | 290 | |
1927 | 91,622 | 7,697 | 31,370 | 18,121 | 13,249 | 償却金8,000 | 8 | |
1928 | 84,823 | 8,580 | 29,290 | 17,699 | 11,591 | 自動車287 | 償却金11,000 | |
1929 | 61,078 | 6,872 | 23,247 | 17,717 | 5,530 | 自動車3 | 償却金5,347 | |
1930 | 59,696 | 7,238 | 23,021 | 15,950 | 7,071 | 自動車454 | 自動車及償却金2,301 | |
1931 | 61,056 | 7,544 | 22,886 | 14,581 | 8,305 | 自動車及償却金4,119 | ||
1932 | 58,010 | 7,906 | 22,516 | 12,872 | 9,644 | 償却金2,648 | ||
1933 | 72,327 | 6,842 | 26,330 | 12,760 | 13,570 | 償却金2,000自動車3,176 | ||
1934 | 82,373 | 10,175 | 30,380 | 17,364 | 13,016 | 償却金4,000自動車2,103 | ||
1935 | 104,448 | 12,220 | 31,914 | 21,818 | 10,096 | 償却金2,800自動車1,077 | ||
1936 | 116,524 | 12,441 | 32,725 | 19,834 | 12,891 | 償却金5,000自動車906 | ||
1937 | 132,491 | 9,270 | 32,996 | 20,547 | 12,449 | 償却金4,547自動車1,909 | ||
1948 | 557,608 | 16,012 | ||||||
1949 | 518,745 | 24,358 |
- 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、鉄道統計年報、地方鉄道軌道統計年報各年度版
脚注
編集- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1920年8月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第30回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 湯口徹『石油発動機関車』ネコパブリッシング、2009年、37頁
- ^ 「ガソリン機関車」ハ現今実牽引力トシテ10噸内外ヨリ認メ難ク(中略)日増客貨ノ増加ニ伴ヒ今後之ガ改善ノ要ヲ認メ蒸気機関車一台ヲ常置シ(中略)在来ガソリン機関車ハ軽量貨物ノ運送ニ専用スルガ如ク(No.8「動力変更の件」『五城目軌道(一)・自大正九年至大正十五年』208頁、国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
- ^ デワ3002の前身は目黒蒲田電鉄が1926年(大正15年)に藤永田造船所で新製した有蓋電動貨車デワ1形デワ2で、東急電鉄発足後にデワ3002に改番、戦後になって秋田中央交通に移籍した。デワ3001は東横電鉄の無蓋電動貨車デト1形デト5(1926年、藤永田造船所製)→東急電鉄デト3015を1953年に東急元住吉工場で有蓋化し2代目デワ3002としたもので、秋田中央交通に移籍した際番号の重複を避けるためデワ3001に改番。デワ3003の前身は目黒蒲田電鉄デト4で1931年(昭和6年)に有蓋化されてモワ3形モワ3→東急電鉄デワ3003となり、長岡鉄道を経て(長岡時代の車番はデワ101)1960年に秋田中央交通に移籍した。東急時代は3輌とも荷重7tであったが、秋田中央では機関車代用として使うため車内にコンプレッサー、エアータンク、工具箱などを設置、荷重を0.3tと大幅に減らして郵便物のみ積載する事にした。またこれに加え基礎ブレーキの改良や自動空気ブレーキ及び客車への電源供給回路の設置など、大規模な改修が行われている。台車は元デトのデワ3001と3003が住友製、3002がブリル製で、モーターは全車48kw×2。
- ^ 中川浩一「私鉄高速電車発達史」『鉄道ピクトリアル』No.211、39-40頁