秋殿南古墳
秋殿南古墳(あきどのみなみこふん、秋殿古墳)は、奈良県桜井市浅古(あさご)にある古墳。形状は方墳。史跡指定はされていない。
秋殿南古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
別名 | 秋殿古墳 |
所在地 | 奈良県桜井市浅古(字秋殿) |
位置 | 北緯34度30分1.05秒 東経135度51分26.75秒 / 北緯34.5002917度 東経135.8574306度座標: 北緯34度30分1.05秒 東経135度51分26.75秒 / 北緯34.5002917度 東経135.8574306度 |
形状 | 方墳 |
規模 | 一辺26m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
築造時期 | 7世紀前半(または7世紀初頭) |
史跡 | なし |
地図 |
概要
編集奈良盆地南部、鳥見山から南に派生する尾根の南端部において、尾根斜面を掘り込んで築造された古墳である。これまでに測量調査が実施されているが、発掘調査は実施されていない[1]。
墳形は方形(截頭方錐形)で、一辺約26メートルを測る[1]。墳丘外表で葺石・埴輪は認められていない[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する[1]。石室全長11.2メートル(または13.7メートル)を測る大型石室であり、石材には花崗岩の巨石が使用される[1]。副葬品は詳らかでない。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀前半[1](または7世紀初頭[2])頃と推定される。同一尾根上では秋殿北古墳が所在するが、鳥見山では尾根単位の各古墳群で独自性が見られることから、墓域を考察するうえで注目される[1]。
埋葬施設
編集埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:11.2メートル(天井石先端部まで)または13.7メートル(推定羨道側壁先端部まで)
- 玄室:長さ4.48メートル、幅2.26メートル、高さ2.4メートル
- 羨道:幅1.7メートル
石室には花崗岩の巨石の切石に近いものが使用される。壁面は玄室では2段積み、羨道では1段積み(西壁4個・東壁3個)である[1]。また天井石は玄室で2石、羨道で4石から構成される。
石室の形態としては岩屋山古墳(明日香村)と同様の特徴を有しており、「岩屋山式石室」と捉えられるが、やや先行すると位置づけられる[2]。また塚本古墳・打上古墳(いずれも明日香村)の石室とはほぼ同一設計になると見られる[3]。
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参考:岩屋山古墳石室
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
脚注
編集参考文献
編集- 史跡説明板(桜井市教育委員会設置)
- 「秋殿古墳」『奈良県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系30〉、1981年。ISBN 4582490301。
- 清水眞一「秋殿南古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「秋殿南古墳」『桜井の横穴式石室を訪ねて』桜井市文化財協会、2010年。
外部リンク
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