秋本 豊之進(あきもと とよのしん、1873年明治6年)11月21日[1]1934年昭和9年)11月27日[2])は、衆議院議員実業家

秋本豊之進

経歴

編集

山口県美祢郡秋吉村(現在の美祢市)出身[3]1895年(明治28年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業し[2]高等文官試験に合格した[4]。会計検査官補・会計検査院書記官奈良県参事官大分県事務官第四部長、統監府鎮南浦理事官、朝鮮総督府平壌府尹を歴任した[3][4]

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

その後、朝鮮京南鉄道株式会社常務取締役、同副社長、朝鮮中央鉱業株式会社代表取締役、桑原鉄工所株式会社取締役、月島鋳工場株式会社取締役、船木鉄道株式会社取締役などを務めた[4]

脚注

編集
  1. ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。
  2. ^ a b 『衆議院議員名鑑』
  3. ^ a b 『衆議院要覧』
  4. ^ a b c 『人事興信録』

参考文献

編集
  • 『衆議院要覧 大正元年十一月』衆議院事務局、1912年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。 
  • 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。