秋月種信

日本の江戸時代前期~中期の大名。日向高鍋藩2代藩主秋月種春長男で、高鍋藩3代藩主(秋月氏19代当主)。従五位下佐渡守。御家騒動「上方下方騒動」の中心人物で、解決に導いた

秋月 種信(あきづき たねのぶ)は、日向国高鍋藩3代藩主。第2代藩主秋月種春の長男。

 
秋月 種信
時代 江戸時代前期
生誕 寛永8年12月14日1632年2月4日[1]
死没 元禄12年7月27日1699年8月22日[1]
改名 黒帽子(幼名)、種信
別名 兵部、主殿(通称
戒名 天沢院殿龍岳宗雲大居士
墓所 宮崎県児湯郡高鍋町の竜雲寺
官位 従五位下佐渡守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱綱吉
日向高鍋藩
氏族 秋月氏
父母 父:秋月種春、母:佐久間勝之の娘
兄弟 アグリ(六条有縄室)、種信、セン、半之丞、カン、湛栄
正室:長徳院松浦隆信の娘)、
側室:サワ(山名外記の娘)、吉川氏の娘など
イヌ(早世)、チヨ(本堂玄親室)、ナベ(花房正矩室)、種恒、トリ(大森頼隆室)、種政、マツ(安部信峯室)、クニ(早世)、種封種利、マル(織田信明室)、佐久間勝親、女(早世)、女(早世)、ノブ(北条氏朝継々室)、サン(早世)、ヒサ(早世)、シホ(早世)、ヒサ(隈江信方室)
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生涯

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万治2年(1659年)、父の死去により跡を継ぐ。父の時代から起こっていた、白井種盛種重家老親子がもたらした問題(上方下方騒動)に決着をつけるため、専横はなはだしかった白井一派の多くを粛清した。その上で新たに身分や国にとらわれず有能な人材を登用した。他に高鍋城の整備を行い、延宝元年(1673年)に財部を高鍋と改名した。

天和3年(1683年)、五男で信州長沼藩主となっていた佐久間勝親改易されたとき、その縁戚に当たることから種信にも2か月間の閉門処分が下された。元禄2年(1689年)2月晦日、次男の種政に家督を譲って隠居し、元禄12年(1699年)7月27日に69歳で死去した。

系譜

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父母

正室

側室

  • サワ ー 山名外記の娘
  • 吉川氏

子女

脚注

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  1. ^ a b 秋月種信 デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ 佐久間勝豊の養子。